今月のメッセージ 正月 2007年 1月   English

「二ツ一つ」

  遙か百数十億年の昔、この宇宙が存在していない頃、確かにあり、今も全てのものがその懐の中にある存在を、二ツ一つと形容します。
 二ツの異なるものが、一つになり、調和して存在する姿をして、二ツ一つと形容する以外にその存在を上手く言い表すことが出来ません。様々に発見されてきた銀河は、二ツの異なる世界が調和して存在をしているものが大半です。この世がそうであり、あの世もそうであります。それは、「ある」世界の全ての様相であります。
 私は、その根本の存在を、「二ツ一つ之大神」親神天之大神とお呼びします。人が神という概念で言い表した、根本の存在であります。
 全ては、この存在が生み出したものと言うことが出来ます。
 月日親神と言いますが、この月日を生み出した存在が天之大神であります。天之大神が、働いて月日、陰陽、プラスマイナスなどと今は認識しますが、二ツ一つを生み出し、日ノ本においては神漏岐神漏美と呼ばれる存在となりました。それは、やがて伊弉諾伊弉冉となり、今日の私たちに繋がる存在へと繋がっていくのです。
 今年は、神の三年千日の三年目にあたり、私は、根本的な存在である十三神についてお話をしてみたいと考えました。
 十三神とは、ここに言う「二ツ一つ之大神」親神天之大神の二神を始めとし、「一つ二ツの大神」天之御中之主之命、神漏岐之命と神漏美之命の二神、そして、命あるもの全てを守り育ててきた守護神八神のことであります。
 私は、この十三の神々に繋がるあらゆる神仏を畏敬します。
 「神一条」と言いますのは、この十三神に繋がっている信仰のことを言うのです。私は、この信仰の形を、神仰と言いました。八百萬之善の神仏を信仰しても結構なのですが、根本を理解してその光を見て、神一条の神仰をするとお教えになります。
 しかし、思うに、二ツ一つ之大神の御光は、それを感じて初めて理解できるものというのが本当のところです。多くの人々は、神仏を信仰しても、そのご守護を実感としてもてないために、頭で理解しようとすることが多いものです。それでは、災厄は逃れることが出来ず、それは、信仰が浅いからだと言われて、路頭に迷うばかりです。
 一度、ご自分の神性を見つめ直せばわかることです。ですから、神仰は、神と貴方との直接の関係です。その直接の関係が、「神一条」にあると言うことが、大切なのです。
 多くの信仰は、「神一条」というわけにはいかず、災厄の道、茨の道を歩みます。それを、信仰の試しであると理解するのは、結構ですが、神仰は災厄の道や茨の道とは本当のところ神仰とは関係がありません。いつも、御光に包まれてあるが故に、いつも幸せなのです。いつも、その幸せを他の人々にもと考えるのです。
 二ツ一つ之大神としか形容の仕方がない存在は、この世界の始まる前に存在し、その御意思のままに、この世界が始まったのです。二ツ一つ之大神親神天之大神に繋がる「神一条」の神仰をと思います。

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