「一つ二ツの大神」
日ノ本において、天之御中主之神(命)と呼称される神を、一つ二ツの大神と私達は言い表す。二ツ一つの大神が、その姿に似せて、霊止を作りたいと思し召しになられ、太陽系宇宙に遣わされた神とお聞きする。
古事記他、神話を伝える書物によれば、天之御中主は天地の初めにおいて、高天原に成り出でた三神の一柱であり、天の中心の主神であるとする。
天地の始めにおいてとは、太陽系宇宙の始まり、高天原とは、この星、地球を意味するとお聞きする。
神話的に意味を考察するならば、この神は、対立・対極する二神を包括し全体性を表し混沌の中の統一性と言うべき観念が認められる。
以下、文献によれば、この観念は特別な出生の仕方をする場合に見られ、古事記の全体的な展開・体系における基層観念である可能性が示唆されているとする。例えば、このアメノミナカヌシ神は天つ神の代表タカミムスヒ神と国つ神の代表カムムスヒ神とともに、独神(ひとりがみ)として生まれており、イザナキ神の水中出生(禊ぎ)においては、アマテラス大御神とスサノヲ命という対立する二神の間にツクヨミ命が生まれており、コノハナノサクヤビメの火中出生(一夜婚)においては、ホデリ命(海幸彦)とホヲリ命(山幸彦)の間にホスセリ命が生まれていると解説する。これらは全て特別(神話的)な出生であり、対立・対極する二神と具体的な活躍を伴わない存在が三神一組となっている点で、共通した観念が認められるとある。
こういう、神話は別にして、一つ二ツの大神という呼称は、一つの全体性が、二ツの個別性を生み出し、それが、霊止を形作ったとお聞きするからである。
それにしても、神話というものが、偶然の産物であるはずはなく、延々と語り伝えられた記憶の再構成であったと理解するならば、お聞かせいただくお話が、神話と酷似しているというのも頷ける。
一つ二ツの大神は、日ノ本ではアメノミナカと呼ばれ、釈迦無二が見たエルカンターレ、イエスが見たエホバ、ムンハマッドが見たアッラーであったと信じることが出来るものです。なぜなら、その言葉の構成は、同じようであるとお聞かせいただくからです。
同じものを見ながら、そのあまりの大きさに群盲象を語るの愚を繰り返してはならないと思う所以である。今こそ、対立を繰り返すものも、もとは、同じ所から出でたと言うことを知るべき時だと思うが、いかがですか。 この次は、神漏之神々について、お話をしたいと思います。
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