GLAにいたころ、最も強烈なインパクトがあったことは、皆が信次先生の過去世を「仏陀」と信じてきたにもかかわらず、それを実質、否定されたことでした。これには、多くのGLA会員はびっくりしました。私も、信次先生が「仏陀」ではなく、「エル・ランティ」であると聞いたときは、その意味、理由がまったく分かりませんでした。

晩年の信次先生

とてもびっくりしたと同時に、信次先生がどこか遠い世界に行ってしまったように感じ、とても淋しく思われたのです。

その事実を知ったのは、1976年5月に、富士山の裾野で行われた、青年部研修会の時でした。

その4月に、横浜に就職したばかりということもあり、総合本部の会員たちと、バスで会場に行ったことを覚えています。

青年部の研修会でも、上の写真のエンジ色のカーディガンを着ておられたと思います。

名古屋でお会いしていたころの先生とは違い、体調がよろしくなかったことも、ショックでした。随分お痩せになったなぁと思いました。

このときの研修会では、確か戸外に出て、反省瞑想の実習がありました。

先生は、「皆さん腹式呼吸でゆっくり呼吸をして、大きなまあるい心を思い描いてください。」とマイクで語り、皆を瞑想にいざなってくださったのを覚えています。

瞑想の終わりで、先生は、「体からどんどん黒い煙が出ていきました。」ということをおっしゃったのを覚えています。反省がうまく行くと、心・体から曇りが、黒い煙となって出ていき、私たちは浄化されるというわけです。

名古屋の実家を離れて、横浜に就職したばかり、少し、ホームシックになっていました。

そんな状況で、GLA誌の「時の言葉」というコラムに、次のような「転生」という長いメッセージが掲載されたのでした。

転生 (GLA誌 1976年6月号より)

関西本部の研修会以来、私の転生について疑問をいだく向きが見られ、これについての手紙も届いている。そこで今日は、これについて答えてみたいと思う。
人の心は私が日ごろ述べているように、本来は、丸く、豊かに、そうして、柔らかな黄金色に輝いている。人の意識活動は、この心の働きによって為されている。普通の見方は、頭脳が働くとみられている。心もまた頭脳の作用と考えられている。しかし、真実は、心と頭脳は別で、心は私たちのちょうど、胸のあたりに位置し作用している。感動で五体が揺れるとき、私たちの感情は頭からではなく、胸のあたりから起こっているはずである。こうした経験は、まず十人のうち十人が経験していると思う。
したがって経験的には、この点を否定できる人はいないと思う。霊視でこれを見ると、心は胸のあたりに、はっきりと映るのである。
さて、次に、人の心は肉眼でとらえられるあの太陽の延長されたものと考えればいいだろう。太陽は万物を生かす慈悲と愛の塊りであり、私たちの心も、慈愛に満つれば、丸く、豊かな太陽と同じように輝くものである。
あの世にはさまざまな世界がある。大きく分けて、宇宙界から幽界の最低段階の地獄界まで、九段階に分けられよう。そうしてこの段階には、あの世の太陽が輝いている。段階によって、その太陽の輝きは異なる。つまり、あの世の太陽の輝きは、人の心の輝きに正比例しているわけだ。
太陽界という世界は、宇宙界の一つの現象として存在しているが、太陽界はこの世とあの世のあらゆる生命エネルギーを放射し、生かし続ける世界である。その太陽界には、ブッタを中心に、イエス、モーゼがいる。いずれも本体(注、一本体、五分身のうちの本体を意味する)である。そうして時に応じて、この地上界に現われ、衆生を救済する。ブッタ、イエス、モーゼは、太陽界という世界では一つの光となって光を放っている。地上に形となって現れるときは、これまで三つの個性ある姿となて機能してきた。三つの機能とは、文証、理証、現証の働きである。
太陽界のもう一面の姿は、宇宙界から直結した大心霊の世界でもある。宇宙界は、それ自体、大神霊の世界であるが、太陽界は、それを映した光として現象化された世界なのである。それゆえ、太陽界は、それ自身、大神霊の現われの世界といえるわけだ。
人の心と、あの世の世界は、常に等しい関係におかれ、太陽界は、あの世とこの世に光を与えつづける大神霊の現われの姿とみていいのである。三次元的には、私たちの頭上に輝く太陽を指すのである。
そこで、太陽界の一部であるブッタの転生が現れれば、日本に四回生命を持ったということになろうし、大神霊の延長としての太陽界それ自体の光が人格として現れるとすれば、今回が初めてということになってくる。
なぜ、このようなかつて見ない現象が起こっているかといえば、物質科学の発展によって、地球上の危機を迎えているからである。そうした現代の地上の混乱は、仏国土建設の基礎となるか、あるいは反対に、人類滅亡の引き金になるかの瀬戸際に立っているのである。
人類は過去六回におよぶ危機を迎え今日に至っているが、今回の危機は最大である。米・ソを頂点とする原水爆をはじめとした人類殺戮兵器の量は、四十億の民を数回皆殺しにしても、なお余る保有量を占めている。危機の地上を仏国土の基礎としなければならないのだ。その基礎は、すでに実在界でけいかくされ、それが現在、具現化されつつあるのである。
こうみてくると、正法を学んでいる者には、おおよその見当がついたと思われる。
次に、太陽界と如来界の関係であるが、この二界の連絡をミカエル大天使が果たしている。ミカエルは、いわば天使長としての役割を担っている。ミカエル大天使は男性である。
さて、ここで断っておきたいが、如来界でも、ある段階以上になると、肉体を消滅させたり、現わしたりする自在な力を持っている。太陽界のイエスは十字架の人となった後、その肉体を消滅させ、復活しているし、またモーゼも肉体を消している。エリアもそうであった。また、如来界のブッタの分身の方も、私の前に現われると、私の知らぬ間にその姿を消してしまう。
このように、あの世の大指導霊は、現象界では自在にその身を変化させることが可能なのである。したがって、ミカエルにあっては、この地上における男女の区別は問題でなく、時に応じて、自在に変化させ、現れるのである。現象面だけをとらえて、すべてを判断しようとすると、そこに無理が生じ、理解できない面が出てきてしまう。そこで、私は、常日頃、会員に求めている。
人生の転生を理解するには、まず、自分の転生を知って欲しいと。
自分の転生がはっきり理解できていないと、人の転生も理解できないからである。その理由は、人の潜在意識は、皆一つにつながっており、自分の潜在された意識がひもとかれないと、人の心も理解されてこないからだ。
自分の転生もわからずに、人の転生や現象だけに心を奪われ、それに翻弄されると、人の心の真実がわからないばかりか、正法さえも否定するということになってくる。
私はよく会員諸氏に申し上げている。霊的に「見る」、「聞く」、「語る」ことができないと、どうしても心が不安定になる、と。この場合の「見る」とは、霊視を意味する。「聞く」とは、守護・指導霊の言葉である。「語る」とは、過去世の言葉を語ることである。この三つがそろわないと、人の心がわからないし、私の心がどんな状態にあるかも不明になってくる。
不動心は、容易に得られないことになろう。
また、人にはそれぞれ器というものがあって、器以上のものを求めようとすると、かえって心を不安定にさせ、せっかくの霊道も魔の支配下におかれてしまう。正法の根本的態度は謙虚さにある。謙虚さを失うと、物を客観的に見ることができなくなり、独善に流れれば自分が苦しくなてくる。
また、人にはそれぞれ役割というものがあって、今生のその役割が十全に果たすことによってのみ、人はいきいきと生きられる。
霊道、器、役割--。
こうした過程を通して、人は、真の安らぎち智慧の湧現が体験でき、仏国土建設の柱となることが可能となる。
また、これらを含めて、正法に一貫して流れる規範は、八正道という物差しであり、人はこのフィルターを通さないと、偏見と迷いから容易に脱皮できない。
このように、人の心、あの世の世界、過去世、転生、霊道などの正しい認識は、まず自分自身が不明のままで、規制の知識だけで判断すると独善に陥る。
もし私が説明する霊的な面がどうしても理解できないとすれば、正道の尺度をもって、私の三次元的生活を見てもらえばよい。そうして、そのうえで判断を下しても結構である。三次元は、あの世の全部を投影しているとはいえないが、しかし、三次元の理解が深まると、あの世を類推的に理解することが可能となってくるからである。
しかし、もっとも理想は、アラハンの境地に自分を置くことである。そうすることによって、安心と智慧が生まれ、守護・指導霊のたしかな導きがあって、みだりに心を動かすことがなくなるものである。
正法は、誰のためでもない。各人のものである。自分を愛する者は、人をも愛することができる。まず、自分自身が身をもって、真実か否かを体験して欲しいものである。
(人道科学研修所長)

以上です。

今、読んでも、このメッセージはとても難解で、どのようにも受け取れるような内容です。

「大神霊の延長としての太陽界それ自体の光が人格」とは、当然、エル・ランティを指します。そのことが、ぼかしてあるのは、エル・ランティという神名を聞いていない、理解できない人たちへの配慮だと思います。エル・ランティという神名は、知らなくてもよいことなのかもしれません。

「信次先生の過去世は、仏陀だと思っていたにもかかわらず、エル・ランティとは何ですか?」という疑問に答えなければ、これまでの信次先生のお言葉そのものへの不信にも、つながりかねません。

今まで、ご著書で説かれてきた内容と、エル・ランティとしてのご自覚の内容と、何とか整合性を取る必要がありました。また、ミカエル大天使の存在について、認める必要がありました。そのために、この「転生」(てんしょう)というメッセージを出されたのだと思います。

今生の残り時間が僅かになりつつあったところで、最後の最後まで、GLA会員を思い、気遣いをされておられたことが、痛いほど伝わってきます。

ブッタ、イエス、モーゼの3人の大指導霊と、真のメシア、エル・ランティとの関係は、簡単には理解できないことでしょう。そういうものだと、知る(信じる)のが良いと思います。
そして、霊的に「見る」、「聞く」、「語る」ことができない以上、無理に、理解しようとしても、心が不安定になるだけですよと、アドバイスをされているのです。

正法を実践し、「アラハンの境地」に自分を置くことで、安心と智慧が生まれ、守護・指導霊のたしかな導きを得てください。
その上で、自分自身が身をもって、真実か否かを体験してくださいというのが、信次先生のお答えなのだと思います。
「アラハンの境地」とは、サナンダさんのブログ「真実があなたを開放する」でいうところの「ハイヤーセルフと一体になること」です。
自らの努力で、「アラハンの境地」、すなわち、「ハイヤーセルフと一体になること」を目指しましょう。