江戸時代の「ワクワク」

彦根城の姿 スピリチュアル

江戸時代の大名で、「ワクワク」を実践した偉大な政治家がいます。彦根藩第十五代藩主、井伊直弼がその人です。

彦根城の姿

彦根城

彦根城といえば、今では「ひこにゃん」です。
井伊直弼というと、桜田門外の変で暗殺された、江戸幕府の悪役大老というイメージが強いです。しかし、それは明治時代の評価であって、もっと見直されて、再評価されるべきだと思います。
 
井伊直弼は、彦根藩主井伊直中の十四男として、文化十二年(1815年)に生まれました。
兄弟が多かったうえ、正妻の子ではないこともあり、養子の口もなく、17歳から32歳までを、自分で「埋木舎」(うもれぎのや)と名付けた屋敷で過ごします。
彦根城 「埋木舎」の門

失意の井伊直弼が過ごしたといわれる「埋木舎」

世の中の よそに見つつも 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は (直弼の和歌)
 
「埋もれておらむ」という部分に、直弼の心意気が感じられますね。
 
しかしながら、日の当たらない境遇にもかかわらず、その中で自分ができること、とりわけ、茶道、和歌、鼓、槍術、居合などに、熱中して精進します。
余りの熱中ぶりに、周りの家臣からは、直弼は「チャカポン」(茶・歌・鼓)というあだ名で呼ばれるほどでした。
 
「一期一会」という言葉は、元は千利休の茶書に現れるのですが、直弼が自分の茶道の中心思想に据えたことで、世に広まりました。
 
彼はひたすら、毎日、バシャールの言う「ワクワク」を実践して、様々な「趣味」に精進したのでしょう。
 
そうした直弼に思わぬ転機が訪れます。兄の井伊直亮(なおあき)、直元(なおもと)の兄たちが、相次いで亡くなり、彦根藩主の座が巡ってきたのです。
 
直弼の「ワクワク」は、思いがけず藩主の座を引き寄せたのでした。
黒船来航の直前、嘉永三年(1850年)のことでした。
 
ただの風流人と思われていた直弼ですが、ひとたび藩主になると、意外な名君ぶりを発揮します。
彦根藩の一年分の予算に相当する十五万両を領民に分け与えて、領内の視察を行い、自ら領民の訴えを聞くほどでした。
 
そして、直弼はその名君ぶりを買われて、安政五年(1858年)、ついに幕府の大老に抜擢されます。今でいう総理大臣のイスを、引き寄せたことになります。
 
大老就任から、わずか2か月後に、日米修好通商条約の調印がなされます。
歴史的に見れば、条約調印はやむを得ないことでしたが、これによって、幕府と尊王攘夷派の水戸藩、土佐藩などとの間に大きな亀裂が生じます。そして、安政の大獄、桜田門外の変という悲劇に、突き進んでいくことになりました。
 
大老になってからの直弼は、毎日のように開いていた、大好きな茶会や歌会も、月に1,2度に減ってしまったそうです。
日本国のカジ取りの重圧に、飲み込まれてしまったのかもしれません。
 
後世に生きる私たちは、直弼の「チャカポン」という生き方をお手本にして、趣味やライフワークに熱中しましょう。
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