今日から、年末年始の休暇に入りました。外では珍しく雪が舞っています。
今から、40年以上前、1976年6月25日に、高橋信次先生は、昇天されました。
その当時、GLA誌には、「時の言葉」という連載がありました。
真のメシア、エル・ランティとして、ご自覚をされた信次先生が、最期に書かれた、そのころの「時の言葉」は、悟りの頂点を著わされたお言葉といってよいでしょう。

晩年の信次先生

釈迦の入滅(ニルヴァーナ)を描いた「大般涅槃経」(だいはつねはんきょう)のように、この時期の「時の言葉」は信次先生の悟りの最高の到達点が表現されています。そして、残された会員諸氏をはじめ、後世の人類への「遺言」であるといってもよいでしょう。

次の「時の言葉」について、当時、まったく理解ができなかった記憶があります。アセンションが真近かという’今’だからこそ、それは変わらぬ光を放ち、私たちを導いてくれます。

言葉と魔(GLA誌 1976年5月号)
転生(GLA誌 1976年6月号)
信は力(GLA誌 1976年8月号)
光の器を(GLA誌 1976年9月号)
反省と調和(GLA誌 1976年10月号

まず、今回は、GLA誌 1976年5月号に掲載された「言葉と魔」を、ご紹介させていただきます。

言葉と魔 (GLA誌 1976年5月号より)

八正道の中に「正語」(しょうご)というのがある。
これは冷静、誠実、愛の心をもって語れということなのだ。心を歪んだままにしておいて語れば、その言葉は、人の心を動揺させ、混乱のモトになるからである。
神は「光あれ」と言われた。すると、光があった。
水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」と言うと、水は、水と空とに分けられた。
これは旧約聖書に出てくる創世記の冒頭のくだりである。
天地創造は、神のこうした言葉によって完成された。
これは何を意味するかといえば、言葉は神であり、言葉は生きており、言葉は、ものを創造する力を持っていることをいうのである。
人の中傷をしたとする。すると、第三者はその中傷に心を動かされ、中傷されている人を色メガネで見るようになろう。しかも、人の口は、それこそ、自由に語られるので、言葉は生き物として、人の心を動揺させ、人から人へ中傷が伝えられると、混乱は、一層深くなっていく。
善悪にかかわらず、言葉は、それ自体、生き物として生き、ものを形造って行く。
憎悪の言葉、中小の言葉、怒り、愚痴、神がつくられたこの地上を、悪の毒で汚すことになる。
悪の言葉を語るそのときは、悪魔がかたわらにいて、その人をそそのかしている。
過日、関西での研修会の折に、悪魔に心を乱された人がいた。一部の人びとは、その人の言葉を信じ、心が揺れた。
悪魔に乱されたその人は、わずかばかりの霊力や自分の能力を過信し、増上慢になっていた。そのため、本来の自分を見失い、自分は真実を語っているかのような錯覚に陥り、苦悩をつくった。幸い、大事に至らず、本人も、そして、その周囲も、平静を取り戻すことができたが、私たちの周囲には、たえず魔の波動が送られ、極めて巧妙なうちに私たちの心の中にすべりこんでくる。そうして、言葉を通して、人の心を混乱に陥れる。
忘れてはいけない。私たちが平常心を失い、心が不安になり、人を憎んだり、気が滅入ったりしたときは、心を落ち着かせ、平常心に戻るまで、みだりに語ってはならない。言葉は、それ自体、生き物として、人の心を動かし、人びとの行動を規制するからである。
(人道科学研修所長)

以上です。

この「言葉と魔」は、先生が亡くなられた後から始まる、混乱を予見したメッセージでした。

「わずかばかりの霊力や自分の能力を過信し、増上慢になっていた」すべての指導者、GLA会員を戒める内容です。
自分を過信した指導者が発する言葉で、GLAという組織が動揺させられて、混乱に陥っていきます。そして、遂に名だたる指導者たちが、次々とGLAを去っていくという、悲しい出来事につながっていくことになろうとは、この時、誰も知る由もありませんでした。

GLA関西本部、国際正法協会、偕和會、等は、GLAを退会した有名な諸先生が、立ち上げられた団体です。
その当時、多くのGLA会員は、GLAに残るか、去るかの究極の選択に直面することになりました。
私もこの混乱に直面して、退会しました。多くの友人たちも、退会しました。また、GLAに残った友人たちも、多くいます。
去った方が正しかった、あるいは、残った方が正しかった、ということはありません。いずれも、その魂の選択でした。

信次先生の昇天後、GLAを去った人も、残った人も、心の彷徨、放浪の旅に出ることになりました。
このことは、天上界で、予め、計画されていたことだったとも、今となっては思えるのです。

GLA会員の多くは、長い転生の間に、十分に正法、神理を学んで経験を重ねてこられた「年老いた魂」であったと思います。モーゼ、イエス、釈迦の時代に生まれた魂が、このGLAという団体に、多く集められました。
魂レベルの経験は十分なので、後は、今生の実践によって、自力でパラミタ(智慧、仏智)を開いて、多くの人びとを導く使命があります。
今風に言えば、ライトワーカーさんたちなのです。
今、GLAに所属している、してしないにかかわらず、「法帰依、自帰依」という、自らの正しい良心を信じて、どれだけ愛の実践ができたかを、試された40年だったのだと思います。
この40年間、どのような「言葉」を語ってきたのかで、今の自分があります。

モーゼが出エジプトの奇跡を経て、’約束の地’である’カナン’に到達するまでの間、長い年月、砂漠をさまよいました。
エル・ランティの奇跡を、GLA会員は目の当たりにして、神の存在を否が応でも、信じざるを得ませんでした。目覚めさせられました。
その「信」を、それ以後の人生で、誰もが試されたのではないでしょうか。
今、’約束の地’ともいえる「アセンション」(新しく再生した地球)に、すべての人類は到達しようとしています。
真のメシアに出会ったライトワーカーたちは、自分がなしてきた「愛の実践」について、いずれ問われるでしょう。