今回のブログは、GLAを退会したときの経緯について、お話しさせていただきます。
言葉と魔」のブログで書いたのですが、信次線が昇天されて、しばらくして、あれほど楽しかったGLAを、とうとう離れる時が来ました。

信次先生の憩いのひととき 奥志賀高原で

1976年の秋から、冬にかけて起きたことです。

そのころ、私はGLA横浜支部の青年部に属していました。

そこで、多くの仲間と出会いました。

その中で、Mさんという夫婦がおられました。

そのご主人に天使が入り、語るようになったのです。

その話が面白くて、その宅に立ち寄り、夜遅くなると、泊めていただくことすら、ありました。

そうこうしているうちに、自分自身の口から、「異言」(過去生の言葉)が漏れてくるようになったのです。

まあ、霊道が開きかけた状態ともいえました。

語っている言葉、一語一語の意味は分かりませんでした。

ただ、おおよそ、何を言わんとしているのかは、何となくわかりました。

そのことで、一騒動が持ち上がりました。

その「異言」について、GLAの総合本部から、悪魔の仕業であると決めつけられたのでした。

Mさん夫婦以外、私も含めて何人かが、異言を語るようになったことが、総合本部の法に漏れてしまったようでした。

横浜の青年部の主催で、クリスマス会を開いたのですが、総合本部の講師の人が、様子を見に来られましたが、特に異言で語るようなことはしなかったので、何も言わずに帰って行かれました。

信次先生の娘さんの佳子先生以外で起きる霊的現象は、すべて悪魔であるという決めつけに、嫌気がさしてしまいました。

確か、1976年12月に、総合本部の主催で、誓いの集まりのような催しがあり、参加させていただきました。

その中で、佳子先生が、霊道現象をされたのですが、私にはその波動になじむことができず、GLAを去る決心をしました。

やがて、信次先生の信頼の厚かった、出版の編集長さんや、地方の本部長さんや、有名な講師の先生たちが、次々とGLAを去っていかれました。

そして、名古屋の中京本部にも顔を出してみたのですが、そこにも居場所はありませんでした。

「自己の確立だ。」、「それには、反省だ。」と口を揃えて言っておられた講師の諸先生が、急に手のひらを返したように、「大天使ミカエル」の讃美をはじめたのでした。

とてもついてゆく気になれず、仕方なく退会しました。

その時、心に決意しました。「いずれ、信次先生の説かれた『正法』を、自分で世に問うてみよう。」と。

そして、40年の歳月を経て、今、その時が来たのだと思えるのです。

自由に自らの意見を、ブログに書くことができます。

幸いにも、「このサイトはおかしい。」とか、「あれは悪魔の仕業である。」などと、言ってくる方はいません。
サナンダさんがおっしゃるように、世間から迫害されるかも、と怯える必要もなくなりました。