昨日(9/14)の「内観と反省」というブログの中で、GLA関西本部の集会で、高橋信次先生のビデオを見せていただき、「高橋信次先生は、先ずは、生れたから現在まで、しっかり反省をを行って、頭から後光が射すところまで反省し、それから瞑想に入るように指導されていました。」と、書かせていただきました。
 
在りし日の信次先生

在りし日の信次先生

正法の基本は、正しい反省を行い、自己の確立を図ることが、第一の目的です。

自己の確立とは、スピリチュアル的に言うと、深い反省を通して、ハイヤーセルフとつながり、自分自身の波動を上げて、自分の頭や体から、金色の後光(オーラ)が見える段階に、到達することです。そこがスタートになります。

今から、2600年前のお釈迦様の時代、弟子入りをする前に、必ず、1週間の反省を行うことが義務付けられていました。
そして、1週間の反省によって、後光が射していることが確認されたら、初めて仏教教団に入団することが許されました。
 
お釈迦様の時代は、非常にシンプルでした。
インターネットも、スマホも、TVもありませんでした。
日が落ちて、暗くなったら、寝るしかありません。
 
人びとは、現在と比べたら、余計なこと(煩悩)を考えることが少なかったため、意識が比較的、汚れていなかったのだと思います。
しかしながら、現代という時代は、物質文明が発達したお陰で、非常に便利になった反面、物やお金に執着したり、情欲に溺れて、自分を見失う人が多いといえます。
 
そのため、昔と較べると、現代は、修行する上では、非常に厳しい環境であるといえるのです。
 
GLA関西本部の集会で、見せていただいたビデオの中の会場には、数百人の若い人たち(当時の平均年齢20代)が、高橋信次先生ご指導の元、ひたむきに瞑想をされておられました。
 
しかしながら、その中で、後光が射している人というのは、意外に少ないようでした。
瞑想をしていても、気が散ってしまったり、中には眠りに落ちてしまう人もあるようでした。
 
そのビデオの中で、かつて瞑想に参加されていた方は、現在は、かなりのご高齢になっておられます。その方は、瞑想のビデオの時代から、40年以上の月日が経っているにも関わらず、あまり進歩がないと嘆いておられました。
 
この現代において、普通に日常生活をしていると、仕事をしなければならない上に、家に帰れば、TVを見たり、別のことをしてしまい、反省や瞑想に、多くの時間は取れない人が多いといっていいでしょう。
やらなければ、やらなければと、思っているうちに、あっという間に、40年の歳月が経ってしまったようです。
折角、今、かけがえのない、正法というご縁に巡り合っているにも関わらず、自己の反省が進んでいない方が、結構、多いのです。
とは言え、天上界で神と約束をした、「自己の確立」を果たして、あの世に戻らなければなりません。
この現象界で生きている間に、反省をして自己を確立することができなければ、死んで、あの世に戻ってから、反省させられることになります。それでは、天と地ほどの差があります。
高橋信次先生は、先ず、反省で、己の心を奇麗にして、次に、瞑想の段階に進むように指導されていました。
更に、毎日毎日、瞑想を続けていくうちに、肉体が浄化されて、肉体が光子体に近づいていき、生きたままで、アセンションを達成していくのです。
ビデオの中の瞑想会場には、自分の心を浄化して、背後の守護霊が異言(過去世の言葉)で語り出される方もおられました。
信次先生は、その方の守護霊さんに、「日本語で語るように」とおっしゃいましたが、守護霊さんは日本語を語りませんでした。
お釈迦様の時代では、過去世の記憶を紐解いて語り出す方を、アラハン(阿羅漢)と呼んでいました。
ただ、悟りには段階があり、アラハンは悟りの入り口で、そこからもっと高い菩薩や、如来の境地に進むように、仏弟子たちは、指導されていました。
お釈迦様が、入滅された当時、アラハン、もしくは、もっと高い境地に達しておられた方は、500人以上もおられたそうです。
現代の日本には、その方々のことが、五百羅漢として伝わっています。
集中内観をして、心の曇りを払って、瞑想の段階に進み、菩薩や如来の境地を目指したいものです。
過去の時代に比べると、現在、進行しているアセンションのプロセスにおいては、より容易に高い境地に到達できるチャンスがあると思えるのです。