先日、ある友人から、お電話をいただきました。

「黒川さんに、無性に会いたくなったので、電話したんだけれど。
 都合がよい時に、会えないかな?」

私は、「無性に」という言葉が気になり、できるだけ早く行ったほうが良いと思い、即座に、電話の翌日に、ご自宅を訪問する約束をしました。

カメラの趣味でつながっている友人なので、カメラの話だろうと思っていました。
しかし、テーブルの上には、カメラが数台並んでいるにもかかわらず、なかなか、カメラの話題に移りません。

私は、どういうわけか、いつの間にか、「お釈迦様は、なぜ出家されたのか?」というテーマについて、語りだしていました。

「人間には、生・老・病・死の四つの苦しみがあります。それを四苦と言います。
 四苦八苦といいますが、八苦の一つには、愛する人と別れる苦しみがあります。
 お釈迦様は、『そのような苦しみを、解決する方法はないものだろうか?』と、お悩みになられて、出家をされたのです。」

というようなことを、1, 2時間ほど、お話ししていたところ、急に友人の様子が変わりました。

「実は、2週間ほど前に、息子が亡くなったんだ。
 なかなか、そのことを話せずにいたんだ。」

と、目を真っ赤に腫らしながら、辛そうに告白されました。

私は、一瞬、言葉を失って、少し間をおいて、お尋ねしました。

「それは、辛いことですね。心中、お察しします。どうして、お亡くなりになったのですか?」

「2ヶ月ほど前に、潰瘍性大腸炎が悪化して、34歳の若さで亡くなってしまった。
 家内と息子のことを思っては、夫婦二人で、泣き濡れています。

と、今にも、泣き出しそうに、おっしゃいます。
ああ、そういう理由で、自分にお声がかかったのかと、思いました。

その時、私の心に浮かんだことを、お話しさせていただきました。

「息子さんは、まだ、四十九日が済んでいないので、目には見えませんが、おそらくこの部屋に、来られているでしょう。
 そして、『お父さん、そんなに悲しまないで。気を落とさないでください。僕は大丈夫だから。』と、おっしゃっているように思います。『千の風になって』という歌の通りです。」

「息子のために、ああしてあげれば良かった。こうしておけば、良かった。そうすれば、息子が亡くなるこことが、なかったのではないか。そういう後悔ばかりが、心に浮かんでくる。」

と、彼は、さも残念そうに、その胸の苦しみを訴えられます。
私は、次のように、続けました。

「ここで、いくら悲しんでも、息子さんは帰ってこられません。
 息子さんは、ご自身の計画通りに、亡くなられたのです。」

すると、彼は、私を見て、「寿命だったのか。」と、ポツリと、答えられました。

その言葉によって、彼の何かが、吹っ切れたようでした。
彼が落ち着かれたようなので、その家を失礼しました。

2、3日して、電話をいただきました。
それは、とても元気の良い、明るい声でした。

「いつまでも、うじうじしていても仕方がないということに気付きました。
 今度、一緒のドライブに行きましょう。」

私は、次のように、答えました。

「○○島の旅館で、一晩泊まるのも、良いかもしれませんね。」

以前にも、彼と箱根に旅行したことがあります。
相談して、四十九日の法事が済んだら、一緒に泊りがけで、旅行に行く約束をさせていただきました。
奥様から、そのお許しが出たということは、奥様も立ち直られたということなのでしょう。

人の死は、遺された家族から見れば、本当に悲しいことなのですが、亡くなられたご本人にとっては、人生の卒業式です。
息子さんが極楽浄土に往かれて、幸せな来世を迎えらていることを、祈念いたします。