映画「AI崩壊」

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昨日(2/10)、名古屋駅の近くのクリニックで、健康診断を受診してきました。
その帰りに、ふと映画館に寄って、映画「AI崩壊」を見ました。
映画「AI崩壊」

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映画は、母が脳梗塞で倒れる前(2015年頃)に、母と一緒に観たのが最後なので、5年ぶりになります。
 
この映画は、スピリチュアルの世界でいう「アセンション」とは、全く方向性が違う、対照的な未来のビジョンを、提示しています。
 
今、世の中では、AI技術に対する、過剰な期待、恐れが高まっているように思います。
それは、テレビなどのマスコミが、AIをニュースで取り上げて、AI技術で、あたかも何でも解決できるとか、人間の仕事の多くが、AIに取って変わられてしまうように、報道しているせいだと思います。
そのことが、コンピュータをよく知らない一般大衆に対して、AIブームを煽っているといって、よいでしょう。
 
グーグルが開発した「アルファ碁」というプログラムに、最強の現役プロ棋士が勝てなくなったため、AIはいずれ人間の知能を超えて、多くの人間の仕事を奪うのではないかと、考える人も多いと思います。
 
私は、元京都大学総長の長尾真名誉教授が、立ち上げられたミュー・プロジェクトという自動翻訳エンジンの研究事業に、外部の支援企業の立場で、関わったことがあります。
 
その経験から見ると、AI技術は、人間の思考を最適化するためのツールと言えますが、人間が持つ「意図」を、AI技術自身が、身に付ける、学習することはありえないと思っています。
そこが、AI技術、人工知能の限界です。
「意図」、「目的」をAIエンジンに与えるのは、あくまで、人間なのです。
 
AI技術がもてはやされ出した数年前に、公的な研究機関に勤めていた友人から、「AIについて、教えてほしい。」という電話をいただいたことがありました。
私は、次のような説明をしました。
「例えば、囲碁や将棋など、限定されたルールの中で、最適な解を求めることには、AI技術は向いているけれど、ルールがない、何が起きるか予測できない領域では、AI技術は役に立たない。」
それを聞いた友人は、AI技術の限界を理解したようでした。
 
病気の診断などの分野は、AI技術が適用できる、格好の領域であることは確かです。
 
この映画「AI崩壊」では、ある一部の悪意を持った人たちが、全ての日本人の病気など、あらゆる個人情報を収集して、特定の条件の人間を殺すというマルウェアを、人工知能”のぞみ”に仕込んで、”のぞみ”を暴走さるという設定です。
 
この映画では、”のぞみ”という人工知能が、無差別殺人をする方向に、暴走を始めてしまいます。
 
しかしながら、多くの医療機器は情報を計測して、送信する機能しかありません。
一般的に、人工呼吸器を停止させるような物理的な手段は、人間が管理しているため、”のぞみ”が、直接、殺人を遂行するようなことは、実際には、不可能です。
 
とはいっても、この映画は、AI技術、人工知能を、無条件に信頼することへの恐ろしさを感じさせるには、十分なストーリーです。
スピリチュアルでは、「自分軸を持って、自分軸を手放すことが無いように生きなさい。」、つまり、「自分の内面を見て、自分を失わないようにしなさい。」と、いうことが、しばしば言われます。
自分の外部にあるもの、例えば、AI技術に救いを求めようとすることに対して、この映画「AI崩壊」は、警鐘を鳴らしています。 そのような観点で考えると、とてもスピリチュアルな映画だと思いました。 AI技術に、過大な期待や、過剰な恐れをいだくことが無いように、私たちは生きるべきではないでしょうか。
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