昨日(R6/8/25)、いつものように、名古屋駅前にある‘ウインクあいち’の会議室で、名古屋支部集会が開催されて、参加させていただきました。
今回は、その前に詩吟の錬成会が行なわれていたので、約1時間遅刻をしての参加となりました。
参加者は、10人ほどでした。
今回、2つの手土産を持参しました。
一つは、高橋信次先生について私が書いた著作の原稿のコピーでした。
GLA関西本部の方たちが参加されていれば、直接、手渡そうと思っていたのですが、不参加であったため、関西本部の理事であり、名古屋支部長を経由して、関西本部長に渡していただくことになりました。
もう一つは、45年ほど前に、集中内観をした後の最後の夜に、内観研修所の管理者であった波場ご夫妻から、聞かせていただいた守護霊の声が入ったテープです。
このテープを参加者の皆さんに、聞いていただくことも考えて、小型のテープレコーダーも一緒に持参したのですが、後でご説明しますが、その必要はありませんでした。
1時間遅刻して、会議室に入ったとき、名古屋支部の支部長さんが、次のようにお話をされていました。
「参加者各自、自分の使命と、カルマについて、これから時間でお話しください。」
私はそれを聞いて、私が持参した「本の原稿」は、自分の使命で、「守護霊の声」は自分のカルマということで、ちょうど支部集会のテーマにピッタリのものを、持参してきたと思いました。
私が使命とカルマについて、話す順番が回ってきました。
まず、私は本の原稿が入った大型封筒を取り出して、支部長さんに関西本部に手渡していただくように、お願いしました。
後で思うと、自分自身が関西本部まで持参して、手渡す方が良かったかもしれないと思いました。
そして、次に私が26歳のころ録音された「守護霊の声」のカセットテープについて、説明をはじめました。
すると、参加者の一人の女性に、私の守護霊が降りてきて、「異言」が混じった、片言の日本語で、語り始めました。
長くなるので、その要点だけをまとめます。
「天台智顗の時代、本体として生を持った。」
「私は大変な努力家である。」
「心がとてもやさしい人であるにも関わらず、それをあまり表に出していないので、もっとそれを表現して欲しい。」
「45年前に話した’優柔不断なところ’は、性格の一面でしかないので、気にしなくて良い。」
そして、守護霊の声を語ってくださった女性は、
「ギリシャ時代と、中国の時代に生まれた守護霊が、話をしてくれたようです。」
と教えてくれました。
名古屋集会が終わり、いつもの近くのカフェで、参加者の皆さんと雑談をしました。
私は、次のように話しました。
「4000年前のギリシャ、2500年前のインド、1500年前の中国と、そして今の時代の日本に生まれているとは、考えてもいなかったです。」
参加者の一人の方は、
「それぞれ1000年から1500年の間隔で、生まれてきているのだから、特におかしくないね。」
私は、結構、頻繁にこの地球に生まれてきて、活動していることに、自分のことながら感心させられました。
この名古屋集会の中で、45年ぶりに自分の守護霊の声を聞くことになるとは、予想だにしていませんでした。
この「守護霊の声」は、45年間、努力をしてきた自分への労(ねぎら)いでありました。
突如として降りてきた「守護霊の声」のおかげで、45年前の「守護霊の声」はその役割を終えました。 (黒川 記)