悪魔のこと

先日、ある友人から、電話が掛かってきました。
彼女は、あるカルトいうか、宗教グループの幹部から、半年ほど前に、ひどいことを言われ、ひどい仕打ちを受けたようです。
その幹部の一人を「悪魔だと思う。」というわけです。

仮面と仏像
自分も丁度、昨年、2017年の暮れに、その人たちから、些細なことで非難を受けて、もうお祈りに来てはいけないといわれて、締め出されてしまいました。
「まあ、キツネが憑いてるだけじゃないの。だから、もう放っておいた方がいいよ。」
といっても、なかなか彼女の気持ちは納まりません。
「昨年の6月くらいまでは、うまく行っていたのに、夏からおかしくなってしまいましたね。本当に残念なことになってしまいました。」
というと、彼女から、「どうして、そうなってしまったんですか?」と、聞き返されます。
こういう状況は、バシャールのような宇宙人の言葉で言うと、「ネガティブとポジティブのコントラストの中に、私たちはいる。そして、その勉強をしている。」というようなことなのでしょう。
宗教集団の幹部のネガティブな姿を見て、私たちは、善というポジティブを学んでいるというわけです。
彼女は、「もう絶対その幹部たちとは関わることはない。」と、怒って言い切ります。
私は、「自分たちが、絶対間違っているとは認めない。最も神に近い存在だと、思い込んでいるのだから、馬っ鹿みたいで、笑っちゃうよね。」といったら、彼女も、「そうですね。」といって、面白そうに答えます。
ただし、実際のところ、その幹部たちのハイヤーセルフさんたちから見たら、とても、笑い事では済まされない、深刻な問題であろうと、思えるのです。
悪霊、雑霊の餌食になってしまい、自分を見失い、おかしな言葉を言って、極端な、ありえない行動に出る姿を、目の当たりに見ると、ネガティブな闇の存在の力を侮るわけにはいきません。
また、誰しも、いつ自分を見失い、彼らのように、高慢で尊大な態度を取るようにならないとも限らないといえます。
彼らが、必死に、ネガティブを演じてくれているお陰で、私たちはそうならずに、済んでいるのかもしれません。彼らは、反面教師になってくれているのです。その意味で、彼らの献身に、感謝を忘れないようにしたいです。

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