これは、「人間ドラマを手放す」のブログの続きのお話です。人間ドラマを手放した後、どうなるのでしょか。
「人間釈迦 4」(高橋信次著 昭和51年11月24日 第1版) P.166~P.172
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キンピラが二人のところに戻ると、アナンとアニルダは、草むらに寝そべり、白い雲をながめていた。あれからもう二時間以上も経っている。
キンピラは、二人に詫びを乞うと、二人はすっくと立ちあがり、じゃ行こうといって、三人肩をならべて歩き出した。
こうして、三人の王子たちは、目的のネグロダに着いた。
アナンはまず、バッティーヤーを訪ねた。
「おお、アナン、出家の決心をしたのか」
「はい、キンピラ、アニルダも一緒です」
「キンピラとアニルダはどこにいる」
「あの林の中に待っています」」
「じゃあ、私がそこへいきましょう」
といって、バッティーヤーは気軽に立ち上がり、アナンの案内で林の中に入った。
「アニルダ、キンピラ、坊主頭がよく似合うぞ。みんな父王の許可を得てきたのか」
「はい、三人とも許可をもらいました」
「それはよかった。ところで、頭を坊主にしたからブッタの弟子にただちになれるというわけにはいかない。実は、ブッタに帰依する前に、君たちは、まず善意な第三者の立場に立って、自分のこれまでの思念と行為について、一つ一つ思い出し、間違っていた事柄の原因をつかみ、それを除く努力をしなければならない。そして、これまでの生き方について、間違いがあれば修正することだ。君たちは、自分自身にウソがつけるかね。アナンはどうか」
「自分に、自分がですか」
「そうだ」
「それは、やはり、ウソはつけませんね」
「他人にたいしてはどうかね」
「他人にはウソはつけます」
「なぜかね」
アナンは、ちょっと考えてから、
「自分が可愛いいから、ウソをつくようになるのでしょうね」
「その通りだ。では、キンピラ。君は、一人、自室にいる時、自分にたいしてどうかね」
「僕が一人でいるときは、自分は素直ですから、自分にウソをつきません。他人はいませんから、他人にウソはいいようがありませんね」
バッティーヤーは、深くうなずき、
「その通りだ。自分が一人でいるときは、自分は素直で、正直なものだ。その素直な心が大事であり、その心が仏に通ずるものだ。ブッタの教えは、その心を日常生活のなかで生かすことであり、これを生かすことによって、人は、安らぎが得られるものなのだ。子どもをみると、よくわかる。子どもは正直だね。邪心がないので、ウソを平気でつく大人でも、子どもの前では相好をくずし、心を平安にさせられてしまう」
といって、三人の顔をみくらべた。
三人とも、なるほどといった顔つきで、彼の次の言葉を待った。
「アニルダ。君の家では多くのシュドラーを使って農業をやっているが、季節を無視して種蒔きをして、農作物の収穫はあるだろうか」
「私は百姓はあまりしたことがありません。しかし小作人たちは、季節に合った作物を収穫していました」
「その通りだ。それが自然の法則というものだ。ブッタは、その法則を教えている。自然にさからわず、自然の法則にそった生きるための法を説いておられるのだ。
自然の姿は不変だ。君たちは、その自然のなかで、素直になって自分の心をみつめ、誤りがあれば、それを修正することが大事だ。七日間瞑想しながら、生まれてから現在までの思ったこと、行ったことの一つ一つを反省することだ。
君たちが本当に過去の間違いを反省すると、君たちの頭の周囲は柔らかい黄金の光で包まれてくる。心のなかにつくりだした曇りが除かれ、仏の光によって満たされるからだ。その光が出たらブッタに紹介しよう」
三人は、自分の頭をなでながら、
「これはむずかしいことになった。誤魔化しがきかないね」
と、異口同音に答えていた。
「だから、本当に真剣にみつめないと、反省にはならないわけだ」
バッティーヤーは、こういいながら、三人の顔を、また見くらべた。
「困ったことになった。頭のまげはないし、つるつる坊主じゃクシャトリアに戻ることもできない」
アニルダはこうつぶやきながら、キンピラの様子はどうかと、彼の顔を覗きこんだ。
キンピラは、アニルダの視線をさけて、草むらに目をおとしていた。
「ブッタに弟子入りを断られても、城に帰ることができないね。キンピラ、お前、自信はあるか」
アニルダは、キンピラに、わざと質問をぶつけた。
キンピラは、黙って、それに答えようとしなかった。
先ほどのいきさつを、アナンもアニルダもよく知っている。今さら、かくしたところでどうすることもできないが、それにしても、アニルダは人が悪い、と、キンピラは思った。
「私の頭は剃りたてだから、今はたしかに光っている。しかし、一週間もすれば、この輝きもなくなり、黒くなってしまうね。私も、過去をふりかえって見ると、女性問題で何度も悩んだ。自分の家柄を利用し、幾人もの女を泣かせてきた。その度に母親に心配をかけ通しで、心の中は曇りっ放しというところだ」
アナンは、キンピラの苦境に助け舟を出し、自分もキンピラと同じだとキンピラを勇気づけた。
「アナン、今、そのように思い出したことを、ではいったい何がそうさせたかを、良く調べ、二度と同じあやまちをしないように修正することなのだ。
キンピラ、もし泣かせた女がいたら、その原因がどうして起こったかを追究し、泣かせた女に、心から詫びることだ。騙された女の身になって考えれば、詫びる心が出てこないことはない。みなもしっかり、自分の心を洗ってきて欲しい」
バッティーヤーのこの言葉に、キンピラはどきりとした。まるで、ついさきほど娘と別れてきた一部始終を知っているかのような口ぶりである。
正法を行じていると、こうしたことは日常茶飯事のことだった。
バッティーヤー自身はキンピラの女性関係は何も知らない。知らないけれど、話をしていると自然に相手の心がわかるような口ぶりになって行くのである。
これは、バッティーヤーの守護霊が、バッティーヤーの意識を通して、本人も気づかぬうちに語らせるからである。守護霊は、あの世四次元からキンピラの意識を読みとっており、現在、本人はどのような気持ちでいるか、何をしてきたかが瞬時にわかってしまうのである。
心が透明になっていないと、こういうことはできない。いくら守護霊が、こうだ、ああだと本人に教えても、心の受像器が不良なため受信できないのである。
キンピラは、なかば恐ろしいと思った。バッティーヤーは何もかも知っていると感じた。
精舎の生活、あるいは、ブッタの弟子としてこれからやっていくには、本当に誤魔化しがきかないし、子どものような素直な心にならないといけないと、強く思った。
「では、しっかり、自分を見つめてください」
バッティーヤーは、こういい残すと精舎に帰っていった。
残った三人は、これから一週間、それぞれの自己反省にうちこむことになった。
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以上、です。
バッティーヤーはカピラ城出身のクシャトリア(侍)で、仏陀の教団では、三人の王子の先輩です。