本日、5月16日は、母親の祥月命日にあたります。そのため、お昼のお祈りは、母の年祀(ねんさい)の儀を執り行う予定です。
母がとても気丈な人であったことが、偲ばれます。
いつも、外出する時に、母と父の遺影に、「行ってきます。」と声を掛けているので、今でも一緒にこの家にいるように感じています。
 
さて、高橋信次先生が遺された「時の言葉」(GLA誌 昭和五十年 六月号 P.6から)の中に、「己心(こしん)の魔」というメッセージがあります。
40年以上前のGLA関西本部

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何か迷いがある時に、この「己心の魔」という言葉を思い起こします。
「自分が、己の中にある自分自身の魔に、支配されていないか?」と、自信に問うのです。
 
己心の魔とは、自分のなかにあるネガティブなエネルギーと、言い換えることもできます。
 
信次先生の「己心の魔」の言葉から、一部を引用させてください。
「時の言葉」(GLA誌 昭和五十年 六月号 P.6~P.9)
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(中略)………
 魔の世界は、いつもいうように、怒り、憎しみ、そねみ、足ることを知らぬ欲望、愚痴(ぐち)、怠惰(たいだ)、増上慢(ぞうじょうまん)などに通じており、ことに、怒り、憎しみ、増上慢に心が揺れてくると、魔は、ただちに働き出す。霊道を開いている場合は、それが顕著に現れる。つまり、現象化されやすい。霊道を開いていない者は、肉体的に肩が重いとか、頭が痛いとか、腹の調子が重苦しいという具合になってくる。しかし、霊道が開いている者には、あたかも指導霊や守護霊が語るかのように、語り出す。または現象をみせる。
(中略)………
 まず、私たちは冷静に正法をフィルターとして物を見る、聞く、考える姿勢を崩さない不動の心が必要である。なぜなら、こうした姿勢こそ、法をよりどころとした正道の第一歩だからである。光の天使が背後にいて語る場合は、決して人を威圧したり、おどしたり、号令調になったりはしない。号令調は時と場合にはあるにあるが、愛の心を根底としているので、相手の心を踏み荒らすような、あるいは増上慢の心をあおるようなことはしない。現象は見世物ではないし、現象は現証に通じたときにしか行われないので、人の心をえぐったり、ふるえ上がらせたりはしないものなのだ。正しく見る、思う、語る正道こそ、己心(こしん)の魔から自分を守り、成道に至る大事な要諦(ようたい)なのだ。
(中略)………
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以上です。
上の文章の意味は、次のようになります。
 
いつも、「魔」という悪霊、魔王は、私たちの心に入ろうとしていて、私たちが、怒り、憎しみ、増上慢の感情を心に起こすと、悪魔が指導霊、守護霊にとって代わり、私たちに語り出したり、現象として、その人の体に憑りついて姿を現す。
 
先日(5/14)のブログ「審神者」に登場したBさんが、異言を語り出した現象は、まさにこのような悪霊の仕業といっても良いでしょう。
 
最近のスピリチュアルなメッセージでは、「悪は去った。」「光が勝利した。」という表現が出て来ます。
 
しかし、私は、「己心の魔」」は、簡単にはなくならないと考えています。
ブロッサム・グッドチャイルドを通して~光の銀河連合からのメッセージの1月27日2月19日のブログでは、「闇を受け入れる」ということをテーマとしています。
Bさんの例は、とてもおとなしいケースですが、高橋信次先生の「悪霊」というご本には、悪霊の様々な姿が描かれています。
Bさんから、異言が語られたとき、他のGLAのメンバーは、そのことを知りつつも、Bさんを否定したり、叱ったりしませんでした。感情的になることなく、冷静に自制を促しました。
この姿こそが、「闇を受け入れる」ということだと思いました。
私自身、時と場合によって、しばしば感情的になり、エネルギーを落としてしまうことがあります。
そのとき、「己心の魔」に自分が負かされたということだと思います。
そういう時は、直ちに冷静になり、心を平静に戻すように努力をしています。
そして、他人が「己心の魔」に捉われて、怒りや、ねたみや、増上慢の心を、あからさまにして、攻撃してくるような時があります。
それを、必要以上に、恐れることも、「己心の魔」に、負けている状態であるとも思うのです。
「己心の魔」は、心に潜む、ネガティブなエネルギーです。
大きな意味で、「悪は去った。」「光が勝利した。」といえるのかもしれないのですが、私たちの心の中には、ネガティブな感情の残り火が、赤々と残っていると思います。
それを一掃するには、まだまだ時間を要するのでしょう。
その間は、自分にも、他人にも、「己心の魔」という心の「闇を受け入れる」姿勢を持って、対応する必要があると思います。