先日、「年祀之儀」のブログで、ある方を通じていただいた父の言葉を公開させていただきました。
Nさんから、メールで、次の言葉をいただいたことについて、その意味を、ずっと考えていました。
「特に指導霊の方々は付き添う人の成長によって霊格向上の度合いも差が出るのでしょうね。」
私の亡き父は、現在、私の指導霊をされていると思います。
父が語った、いつも日がさしている道とは、ライトワーカーの道なのだと、思い当たりました。
父が亡くなったのは、平成2年のことで、今から29年も前のことになります。
少し長くなりますが、父の人となりを、お話させて下さい。
生前の父は、正義感が強く、よく怒る人でした。
中耳炎の持病があり、会社を休みがちで、一年の半年は会社に出勤するが、残りの半年は家で布団で寝てるような時期がありました。
私が中学1年のとき、会社員を辞めて、釣り道具屋を開業しました。
母は店で、慣れない趣味の釣り道具を売ることになりました。
私も弟も、休みの日は、店を手伝いました。
父は自分が思うようにならないと、よく癇癪を起こしました。
気に入らないお客さんの場合、「買ってもらわんでもいい」と言って、追い払うような人でした。
ある時期、バイトとして、Kさんという人が、店で働いていました。
彼はお酒が好きで、昼間から酔っぱらっていることもしばしばでした。
父とKさんと私の3人で夕食に行った時、そのKさんに対して、あんたはダメだと、私が同席しているのを忘れて、延々と30分以上も説教をしたことがありました。
それがきっかけで、Kさんはバイトに来なくなりました。
母にも、「悪妻は百年の不作だ。」と、あからさまに不満を言っていました。
母は、泣きながら、父のいないところで、「私がいるから、店がやっていけるのに」と、愚痴と苦悩を、中学生だった私に話しました。
私も、その通りだと思いました。
離婚はしませんでしたが、母は悩んでいました。
そんな父にも転機が来ます。
弟を店に入れて、仕事を手伝わせることになりました。
最初は、弟の仕事のやり方がまずいといって、しょっちゅう叱っていました。
が、次第に弟が頭角を現し、弟がいなければ、店が回っていかなくなりました。
そして、父は年をとるに従い、店から離れて、自宅の庭でバラなどの趣味に耽るようになり、ある時ガンが見つかり、69歳の若さで亡くなりました。
私が20歳の頃、GLAに通っていたことに対して、父は、神さまを信じるよりは、自分の力を頼りにしろと、私をひどく叱りました。
そのため、父に持っているのイメージは、頭はいいのだけれど、感謝の心がなく、人に厳しく怒りっぽい人ということでした。
その父が、私と同じように神に向かう道を歩いていると聞いた時、驚きましたが、とても嬉しかったです。
人は、必ず、真実に目覚める時が来るので、たとえ、一時的に心が通わないとしても、いつかは、分かりあえる時が来るものだと思いました。
私が晃月師に出会って、数年が経ったある時、その父が夢に出てきました.。それは、父の年祀之儀の10年以上も前のことでした。
父は、椅子に座って、私の方を見ながら、満面の笑みを浮かべて、嬉しそうにしている夢でした。
その夢について、「父が私を守ってくれているのですか?」と、晃月師にお聞きしたら、「そうだ」と、お答えになりました。
それ以来、私を守りながら、お神を仰ぐ道を一緒に歩いてこられたのでしょう。
私も父も、一つのチームとして、共にライトワーカーの道を歩んでいるのだと思います。
仮に、私がライトワーカーの道(お神を仰ぐ道)から外れてしまった場合、即ち、私の場合は、十三神の祈りから外れる、あるいは、やめてしまうと、父もその役割、使命を果たせなくなってしまうということだと思います。
それが、「君(裕司)が間違えなければ 私も間違わない」という父の言葉の意味だと思いました。
君の行く道は 細くて険しい 険しい 苦しい 嫌だ と思っても 必ずその道を行くんです この道は誰もがすぐには見つけられない 君が間違えなければ 私も間違わない これだけはお願いする
という父の言葉は、ライトワーカーの道は、その道を見つけること自体が困難で、その細い、険しい道を行くことは、さらに難しいということです。
ライトワーカーとしての人生は、過酷と言ってもいいでしょう。(注、この言葉は、3年前の話なので、現在は、エネルギーが変り、過酷さはかなり緩和されたかもしれません。)
己心の魔に負けてしまったり、邪や魔に幻惑されて、道を外れてしまうことがあるかもしれません。(注、己心の魔を、心配しすぎるのはよくないですが、鈍感なのも考えものです。)