昨日(5/12)、東大阪市にあるGLA関西本部に行き、本部の集会に参加させていただきました。
40年以上前のGLA関西本部

40年以上前のGLA関西本部

GLA関西本部については、「GLA関西本部 名古屋支部 勉強会」で、ご紹介させていただきました。
 
朝、午前9時25分にJRの駅に集合して、名古屋支部長のHさんが運転する車で、私を含めて5名が参加しました。
 
車中では、皆、和気あいあいの会話を、楽しみながらの道中でした。
 
関西本部に到着したら、本部の方から、「壇上に登って、自己紹介をしながら、少し体験談を話してもらえないか?」と、依頼されました。
私は、快く引き受けました。
 
午後1時から、「心行」を読み上げた後、約一時間、信次先生のご講演ビデオを映してみた後で、休憩をとった後で、壇上に促さされました。 
 私は、1974年か75年に、関西本部の運動会に参加するために、来させてもらいました。
 そのころのGLAは、本当に楽しかったです。
 私が、その頃、名古屋の中京部のT事務局長から、聞いた話ですが、信次先生は、「自分の過去世は、本当に釈迦なのかなあ。」と迷われていたそうです。
 信次先生から、「自分は地球に生まれるのは初めてです。真のメシアで、エル・ランティと方がおられます。」という話をお聞きしたとき、「ああ、このことだったんだ。信次先生は、エル・ランティだったのだ。」と、疑問が解けたのでした。
 信次先生が昇天されてから、40年以上も、この正法の教えをずっと護持してこられたことは、信次先生もお喜びのことと思います。
 私も、先生が亡くなられてから、高橋佳子先生に、ついていくことができませんでした。
 信次先生は、私たちの使命は、現在、地球救済計画の最終段階で、地球をユートピアに導くことだとおっしゃっておられました。
 ユートピアを実現するために、何か特別な活動をする必要はないです。
 自分の心の中に、ユートピアを創ることです。
 地球の人類のすべての心の中に、ユートピアができれば、地球のユートピアが実現します。
 その使命を果たしていきましょう。
以上のような話を、させていたかいました。
続いて、N事務局長、Y本部長のご講話をいただきました。
 
集会が終ってから、Y本部長が近づいてこられて、「何故、中京本部の他の仲間と一緒に、佳子先生の総合本部についていかなかったのですか?」と聞かれました。
「丁度その時、名古屋の中京本部から、横浜の青年部に移ったところだったので、一時的に名古屋の仲間とは別れました。夏休みに、中京本部に戻ったら、以前とは全然雰囲気が変わっていました。」
「横浜の青年部はどうでした?」と聞かれたので、正直に、「横浜の青年部では、霊道を開く(過去世の言葉を語り出す)人が沢山出たのですが、総合本部から、『今霊道を開いているのは、すべて悪魔の仕業です。』といわれました。それで、GLAを離れることになりました。」とお答えしました。
Y本部長は、苦笑いをされました。
 
GLA関西本部の前身であった「瑞宝会」は、一つのの宗教法人でした。「瑞宝会」が、GLA関西本部に名称を変えたとき、GLA総合本部とは、合流しないようにと、信次先生に指示されたそうです。道理で、GLA関西本部という、当時のままの名前が、残っていたのでした。
そして、当時のN元本部長の後継者として、K氏(前本部長)を後継に指名されたそうです。
信次先生は、ご自分が昇天された後、GLAが分裂していくことを、予見されていたのだと思いました。
 
先生がお亡くなりになり、40年以上が経ちました。確かに、関西本部の方たちは、ご高齢になりましたが、地道に正法の道を外さず、歩んで来られました。
そして、霊道を開いた方が数多くおられることは、この物質文明の末法の世の中にあって、奇蹟のようなことです。
経験談を話し終えたとき、司会の方が、「いらっしゃいませではなく、お帰りなさいでしたね。」と、機転の利いた言葉を、おっしゃいました。
確かに、お帰りなさいですね。私は、関西本部の方たちに、本当に温かく迎えられました。
GLA関西本部は、新たな自分の居場所となりました。
私は、GKLA関西本部と、名古屋支部の数多くの仲間が、一度にできました。
この仲間たちと共に、高橋信次先生が説かれた正法の輪を、40年前のように、広げていけたら嬉しいですね。