先日(6/2)、「引き寄せ」というブログを書かせていただきました。
仮に、正しくお祈りしている場合であっても、必ずしも、何もかもが、願が引き寄せられて、スムーズに事が運ぶ時ばかりではない、ということについて、お話をさせてください。
愛知県で万博があった年、2005年の2月13日の日曜日のことでした。
毎月、第2日曜日は、本部修会が開かれて、この日は、晃月師がご講話をされました。
晃月師のお話がおよそ1時間ほど続き、そろそろ終わりに近づいた時、私の携帯電話が鳴りました。本来であれば、修会の時は、電源を切っておくように言われていたのですが。
自宅からの電話であったため、私は、思わず、その電話に出ました。
そして、母が、「これ誰だか、分かる?」と言って、別の人物に代わりました。
彼は、「僕だけど、分かる?」と聞いてきたのですが、何のことかさっぱり分からず、「分からない。」と、答えました。
彼は、「○○。」と、名乗りました。「なんと、自分の子供だ。」と驚きました。
びっくりした拍子に、携帯電話を持ったまま、本部修会の真ん中で、晃月師のお話の最中にも関わらず、立ち上がってしまいました。
すると、晃月師は、手でジェスチャーをして、話をしなさいと微笑んでおられます。
私は、電話を切った後に、次のように話しました。
「今のは、ずっと別れて、離れ離れになっていた、息子でした。息子が、久しぶりに、自宅に来たという電話でした。」
本部修会に集まって来られていた方たちから、「ほーっ」というため息のような驚きの声が漏れました。後で聞いたところ、涙がこぼれたという方もあられました。
晃月師は、誰から電話が掛かってきたかを、ご存じでした。
一種の奇蹟のよな瞬間でした。
その事件から1年余りして、2006年4月に、息子は母親の実家から、夜逃げをするようにして、私の家に帰ってきました。そして、私と母と3人で暮らすようになりました。
息子が戻ってきたことで、嬉しくてたまらない日々でした。
その2006年12月には、息子と一緒に、ホノルルマラソンに参加させていただき、最高に幸せな1年になりました。
ここまでは、すべて、とてもスムーズに事が運びました。
そこで、自宅を建て替えることを、思いついたのでした。
ただ、自宅を建て替えるだけではなく、十三神之祈りができる場所にもしようと思い立ちました。
ある建築会社に、お祈りの部屋がある設計図面を作ってもらいました。銀行からの融資が決まれば、工事に取り掛かるばかりというところまで行きました。