死は人生の卒業式

晩年の信次先生 スピリチュアル
今日は、高橋信次先生の遺された言葉から、ブログを書かせていただきます。
高橋信次先生は、世間一般では、あまり知られていない方ですが、私は、メシアであると思っております。
晩年の信次先生
死海文書の預言で、「メシアは日本から出現する」という趣旨の動画を見かけることがあります。
仮にそうであるとしたら、既に天に戻られておられますが、高橋信次先生こそは、まさしく日本人のメシアです。
 
昨日、「光子体」というブログを書かせていただきました。この光子体という言葉は、高橋信次先生が、40年以上前に、最初に使われた言葉です。
 
今日は、肉体の死、五官についてのお話です。
 
さて、人は果てしない転生輪廻を繰り返し、何度もこの世とあの世を体験している魂です。死は、魂の一つの転機です。
「汝、死をおそれること勿(なか)れ」
ミカエルは私達に、このことを重ねて伝えています。
死は、一つの転機にしか過ぎないということを。
 
それにもかかわらず、私達は肉体の自分に執着して、死に恐怖を持って、この現象界を去っていく方たちが多いということです。
 
ミカエルは、このことを、次のように語っています。
「人間の持つ一番愚かな執着である」
肉体の死は、本当の死ではありません。
本来の自分に目覚めて、自分を悟るためのものなのです。
つまり、真実の己自身を悟るために、死があるのです。
 
また、ミカエルは、次のように、地上の人々に、注意を促しています。
「汝等、一秒一秒をおろそかに暮すこと勿れ」
私達の住んでいる地上界に存在するもの、即ち、物質は、つねにうつり変わり、持続性がなく、無常なものです。
私達は、自分自身の肉体ですら、自分の物だと思っていても、一秒一秒、つねに死への旅路が近づいており、休止することは絶対にありません。
 
今、私達が経験している一切の苦しみや、また、喜びは、すべて調和された己自身を、完成させるための学習なのだということを、私達は自覚しなくてはなりません。
 
私達の肉体を支配している生命・魂の時間は永遠であって、肉体・物質は有限です。
人生航路は、はかない一時の夢にしかすぎません。あたかも、幻のようなものです。
人間は、真実ではない、幻想の中で踊らされているピエロのように、愚かしい存在なのです。
 
私達の五官は、仮りのものであり、己の肉体を守るための手段でしかありません。
本当の視覚ではありません。本当の聴覚ではありません。本当の嗅覚でも、味覚でも、感覚でもないということです。
 
真実のものは、私達の心が主体なのです。
あの世における感覚は、魂の段階の低い次元では、物質的な五官に近い世界も存在しています。
しかし、高次元に行けば行くほど、天上の世界は、心が精妙な世界であり、更に調和された世界になるに従い、感覚以外の心で、すべてを感じられる世界になって行きます。
 
地上における人間である、私達の五官は、天上界の心の感覚を、肉体の機能として、模倣(シミュレーション)した姿なのです。
私達の人生は、極めて精巧に作られたバーチャルリアリティ(VR)というべきものなのです。
 
そのため、私達の肉体の五官は、故障をしたり、壊れたり、失ったりするのです。
これも、すべて、神が私達にお与えになった試練であり、3次元的な物質に与えられた力なのです。
 
そのため、捉え方を、一つ間違うと、つまり、肉体の五官を真のものと錯覚すると、神が与えてくださった慈悲が、かえって仇になってしまうということです。
肉体は、すべて、単なる器官にしかすぎません。 本当の身体は肉体ではありません。本当の身体は、精妙な光の光子体であることを、私達は今一度、悟らなくては、なりません。
それゆえ、肉体的な死は、粗雑な物質である肉体を脱いで、本当の身体である精妙な光の光子体に、乗り換える転機なのです。 つまり、死は人生の卒業式なのであり、すべての終りではないのです。
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