一昨日(7/9)から、昨日(7/10)にかけて蓼科のリゾートホテルに、高校時代の友人たちと、泊りがけの旅行をしてきました。
梅雨にもかかわらず、天候が晴れて、楽しい思い出になりました。

白樺湖にて

白樺湖にて


9日の晩のことでした。
高校時代、非常に親しかった友人と、深く話し込むことになりました。

そのきっかけは、保険を中途で解約した時に、税金がかかるか、かからないか?という些細なことで、互いの主張がぶつかったことです。

私は自分が正しいと思っていることは、なかなか引きません。
彼も、自分が絶対に正しいと思うと、最後まで主張するタイプです。

彼は、最近の私自身の在り方に、どこか心配をしてくれていたようで、次のようなことを、指摘してくれました。

「自分が絶対に正しいと思っている。」

確かに、おっしゃる通りと、思いました。
この年(65歳)になって、敢えて、苦言を呈してくれる友人は、なかなかいないものです。

母親が私をよく叱ってくれた、次のような言葉を、思い出しました。

「あんたは、絶対自分が正しいと思っとる。それで、自分がどれだけ損をしていることか。」

私は、正しいと思うと、なかなか自己主張を止めない性格なので、それで損をしているところがあります。

母は、無神論者でした。「人間は死んだらそれでおしまい。後には、何も残らない。」と主張したことがありました。

私は、「死後の人の魂は残る。」と主張します。お互いが、絶対に引かないので、平行線になりました。
それは、絶対、結論ができるようなことではないので、途中で、「キリがないので、止めよう。」といって、議論を納めました。
この出来事以来、母とは宗教や、死後の世界について、一切話すことはやめました。

親友のこの言葉は、自分自身を振り返る良いテーマだと思いました。
仮に内観研修に行ったら、様々なことが、反省材料として、浮かび上がってくることが、予想されます。

それから、彼自身の体験から、私が離婚したことなどについて、親身のアドバイスをしてくれました。
その内容は、差し控えさせていただきますが、このことは、とてもありがたく感じました。
離婚というようなプライベートなことについて、意見をいっていただける友人は、なかなかいないと思い、心からありがたいと思いました。

翌日(7/10)の朝、蓼科の空は晴れて、外気がとても清々しい朝でした。
部屋から朝食をとるレストランまでの道すがら、彼に感謝の言葉を伝えました。

「昨晩は、有難う。『自分が絶対に正しいと思っている。』という言葉は、母親が生前、自分を叱ってくれた言葉だ。なかなかそこまで言ってくれる友人はいないので、ありがたかった。」
保険のことで言い争ったこと等、すっかり忘れて、お互い、晴れ晴れとした気持ちになりました。
彼にも、私にも、娘がいます。それぞれ、二人の娘は、近いうちに、出産する予定です。
彼にとっても、私のとっても、初孫が生まれることになります。
初孫ができることで、良いおじいちゃんになって、より幸せになれたら、良いなあと思いました。
そして、旅の良い思い出となりました。