先日(8/29)の午前3時頃、何故か、不快な感情で目が覚めました。
皆既日食
その前の晩、このブログのテーマとして、「大天使ルシエル」を書かせていただこうと思いたったことが、気になりました。
 
いずれにせよ、何か良くないエネルギーを、引き寄せてしまったと感じました。
「大天使ルシエル」のことをブログにするのは、一旦、やめることにしました。
 
目が覚めた時、光の銀河連合さんが、教えてくれている言葉、「私は光、私は愛、私はすべて。」を唱えることにしました。
 
自分のハートチャクラに意識を集中して、「私は光、私は愛、私はすべて。」と、何度も何度も、唱えました。
5分か、10分くらい経ったでしょうか。ハートチャクラに、心地良いエネルギーが、流れこんで広がってくるのを、感じました。
 
そして、その明るいエネルギーは、どんどん広がって、目が覚めた時のどんよりとした不快なエネルギーを、すっかり吹き払ってくれました。
 
私は光、私は愛、私はすべて。」は、魔法の言葉だな、と思いました。
この言葉の力を信じて、何度も何度も唱えることで、本当に心が軽くなり、明るくなりました。
 
普段の日常生活の中で、無意識で、無防備でいるうちに、「ハッピーで穏やかな世界」を、見失ってしまう時が、たまにあります。
そうした時に、ためらうことになく、「私は光、私は愛、私はすべて。」という魔法の言葉を心の中で唱えて、「ハッピーで穏やかな世界」を、選択し直すことができると思いました。
 
実は、「私は光、私は愛、私はすべて。」という言葉と、同じ意味を持っている、魔法の言葉があったことを、思い出しました。
父なる神 手放し方」というブログにも、「父なる神」の言葉として、そっくりな言葉が出て来ます。
「私は在りて在るもの全てです 私は無限です 私は神です」
(I AM ALL THAT I AM. I AM UNLIMITED. I AM GOD. )
 
そして、ブログ「光の器を」にも、それに近い言葉がります。引用させてください。
我を信じよ。
我を信ずるとは、法にそって生きるということだ。
盲信、狂信は、信の世界ではない。
信の在り方は、そなたたちが、大宇宙の不変的神理にしたがって、生きるということなのだ。
我は光なり。
我は法なり。
我は道なり。
そなたらは、たがいに補い合い、助け合い、手を取り合って、前に進め。そのとき、我は、そなたらに、光の道をさし示して導いてゆくであろう。信じて、疑うことなかれ。
上のメッセージは、高橋信次先生が執筆されて、GLA誌 1976年9月号に掲載れました。40年以上前のメッセージです。
 
このメッセージを読んだ時に、「我」の意味は、てっきり信次先生自身?を指しているのもと、思い込んでいました。
上のメッセージの「我」を、神の子である「私」自身に置き換えると、「私は光なり。私は法なり。私は道なり。」となります。「私は光、私は愛、私はすべて。」に、ほぼ近い意味に受け取ることが出来ます。
つまり、私自身の神性を信じることは、ただの「盲信、狂信」であってはなりません。大宇宙の不変的神理(=仏教の法、タルマ)にしたがって、生きることに他なりません。
私は光、私は愛、私はすべて。」と、唱えることは、私の神性を信じて、愛に生きますという、表明・宣言(アファメーション)であるのです。
これが、魔法の言葉が、力を持っている理由だと思います。