昨日(9/9)のブログ「内観研修を終えて」の中で、「3度ほど、大きな気付きを得て、涙を流しました。」と書かせていただきました。
そのうちの2度は、父に対する内観の時でした。
私は、40年前にも、1週間の集中内観を、二回、経験させていただきました。
その時も、父に対する内観を行なっていました。
以下は、今回の集中内観で、父に対して、気付いた内容です。
60年前、小学生の頃、学校から帰ってきたとき、父は慢性的な中耳炎を患い、長い間、一年の半分は、床に臥せっていました。
父の枕もとで、大きな足音を立てたときなど、父は床かから飛び起きて、私をひどく叩きました。
その時、父に起こられたことが、トラウマになり、父のことを、怖くて、おっかない存在と、長い間、ずっと思ってきました。
40年前の集中内観で、父に叩かれたことも、親の愛の鞭だというような解釈で、済ませていたので、父の怖いイメージは、そのまま持ち続けていました。
今回の集中内観によって、父親への内観(子供の時から、父の死までの期間の内観)を二回り行いました。二回りめの父に対する内観をしていた、六日目の午後でした。
ただ怖いというイメージが全く180度変わってしまいました。それは、次のことに、思い至ったからでした。
ただ怖いというイメージが全く180度変わってしまいました。それは、次のことに、思い至ったからでした。
以前、犬を飼っていたことがありました。
その犬は、自分が家に居るときは、必ず、嬉しそうに寄って来て、耳を後ろに倒して、恭順の意を示してくれました。
それを、当時の妻が見ていて、よく私に嫉妬をしていました。
毎日のように、雨の日も寒い日も、その犬を散歩に連れて行きました。
ある時、その犬が、なかなか歩いてくれなくなりました。
後でわかったことですが、体の内部に大きな腫瘍ができていたためでした。
それが分からなかった私は、犬を糞を始末するスコップで、思い切り、犬を殴ってしまいました。
犬は、キャンと悲鳴を上げました。しっかり歩くように、つい手を出してしまったのでした。
今思うと、犬に大変申訳ないことをしたと思います。その犬を心から愛していました。
その犬の記憶とは別に、もう一つ、弟と自分が次のような会話をしている場面が、思い出されました。
父が弟の一人息子を、あまりにも可愛がるので、二人で「自分たちの時とは、全く可愛がり方が違うなあ。あんな風に、可愛がってもらった記憶がない。」と父親の孫にメロメロである態度を見ながら、互いに愚痴を言っていました。
それらの記憶が結びついて、「ああ、父は決して自分の子供が嫌いではなかったのだ。ただ、病気で頭痛がしていたところに、子供たちが床(ゆか)をどんどんとさせたので、つい手を出してしまったのだ。本当は、子供が大好きだったのだ。」と思い至ったのでした。
そこで、病気がちであったため、子供を可愛がりたくても、可愛がることができなかった、父の無念さに、改めて気付いて、思わず感情が込み上げて来て、泣いてしまいました。
どこに子供が可愛くない父親がいるでしょうか。
父は、心ならずも、病気のために、可愛い子供を叩いてしまったのでした。
それほどまでに、病気に追い詰められていたのでした。
そして、次の内観の時間で、さらなる父の無念さを知ることができました。
父の青年時代は、いわゆる軍国主義の時代でした。
敗戦によって、 青春戦争に奪われ、その上、自分が受けた教育勅語の教育とは、全く異なる民主主義の世の中で、暮らすことを余儀なくされたのでした。
父は、「大東亜戦争(太平洋戦争)で、日本が勝っていればよかった。」と、常々その心情を吐露していました。
終戦による大きな価値観の変化に、ついて行けず、さらに重い病気になり、自暴自棄になり、やりどころがない怒りが、心を占めて、それが子供に向かったことが、容易に想像されました。
その父のやるせない心情を思うと、また涙が溢れました。
そこで、素朴な疑問が湧いてきました。
40年前の父に対する集中内観で、どんな内観をしていたのか、よく思い出せないのです。
その理由を、暫く考えて、次のような結論を出しました。
結婚、離婚、独立起業、会社経営という様々な経験を積むことで、40年前は、理解出来なかった父の心が、手に取るように分かるようになったためでした。
40年前は、子供がいなかったので、親がどれほど、子供のことを思っているのかという親心が理解できませんでした。
3人の子供を持ったことで、親にとって、どれほど子供が可愛いかが、容易に分かるようになりました。