昨日(9/10)のブログ「父に対する内観」の中で、集中内観で、3度涙を流したうちの「2度は、父に対する内観の時でした。」と書かせていただきました。
残りの1度は、祖父に対する内観をしていた時でした。
集中内観では、まずは、母に対する内観を最も重視しています。そのため、内観を初めて体験する方は、母親に対する内観から、始めることになります。
40年前に、二回の集中内観の経験がありましたが、やはり母に対する内観から始めました。
母と父の内観を終えて、さらに、別れた妻と、その母のに対する内観を終えた後、二巡目の母の内観を終えて、内観5日めに入りました。続いて、父の内観の二巡目をしている時に、父に対する思いが、180度変わってしまうという体験をしました。
父を終えて、次は誰に対する内観をさせていただこうかと考えた時、祖父に対する内観をすることに決めました。
その理由は、幼いころ、祖父から、どの孫より、殊の外よく可愛がっていただいたからでした。
父は釣り道具店の経営者として、自分の夢や構想を語ることが好きでした。一方、祖父は、陶器の絵付け工場の経営者でしたが、父とは対照的に、物静かな人でした。
後年、2017年5月に、母親の乳癌が悪化して、手の施しようがなくなった時、「もうすぐお迎えが来るよ。お迎えは、お父さんがいいか、それとも、お祖父ちゃんがいいか、どちらがいい?」と、母に聞きました。
母は即座に、「お父さんは怒るから、お祖父ちゃんが良い。」と答えました。
第二次大戦前は、祖父のような大きな工場の経営者は、お妾さんを囲うのが一般的でした。
男前で、体格もがっちりしていた祖父には、二号さんがあり、母と同じ年頃の子供がふたりあったそうです。
母の話では、そのことで、祖母との間で、喧嘩が絶えなかったそうです。
祖父の絵付け工場は、第二次大戦後の朝鮮動乱の後に起きた不況によって、倒産してしまいました。
借金の担保に入っていなかったために、辛うじて残された狭い土地に、父が家を建てて、両親、祖父母と、私と弟の6人家族での生活が始まりました。
祖母は、口やかましい人で、祖父に対して、いつも何かにつけて、小言を言っていました。
祖父は、その小言に、一切反論せずに、静かに苦笑いをしていました。
ある日、父はその様子を見るに見かねて、祖母を次のように叱りつけました。
「あんたは何様だと思っとる。私からから見ると、お祖父ちゃんは立派な人だ。それを、どうしてそんなに悪く言うのか!」
それ以後、祖母は、心なしか、元気がなくなり、おとなしくなりました。
祖父は、ある夜、お風呂に入っていた時、足を滑らせて、その拍子に後頭部を強く打ち、寝込んでしまいました。
ある時、祖父は仰向けに布団で仰向けに寝ながら、天井に対して、両手突き出して、手を一生懸命振る仕草をしているのを見ました。
私は、もう長くないのでは、と思いました。
祖父は、亡くなる直前に、祖母の手を握って、頭を下げて、「ごめんなさい。ありがとう。」と、繰り返し言っていたところを、私は見かけました。
そうこうするうちに、倒れてから、1ヶ月ほどで、祖父は静かに息を引き取りました。
私が物心ついた時には、工場は倒産していて、祖父は陶器のデザイン画を制作して、アルバイト料をもらって、暮らしていました。
デザインのスケッチを、静かに真剣に描いていた姿が、強く印象に残っています。