昨日(10/28)は、「正法の生活」というブログを書かせていただきました。
今日は、「正法」の正しさとは、どういう正しさなのかについて、お話をさせてください。
「正法」を、人間の行動規範として、落とし込んだものが、お釈迦様が説かれた「八正道」です。
八正道の正しさには、「中道」という基準が、その根底にあります。
その理由は、お釈迦様が、村娘のスジャータが歌った歌詞を聞いたことが、悟りを開くきっかけとなった出来事でした。
その歌詞は、次のようなものでした。
「弦の音は、きつく締めては、糸は切れてしまう。 弦の音は、ゆるく締めては、音色が悪い。 弦の音は、中ほどに締めて、音色が良い。」
上の歌詞のように、バイオリンやギターなどの弦楽器は、弦をちょうどよい強さで締めないとよい音が出ません。
お釈迦様は、「カピラ城で育った優雅な王子の生活では悟れない。厳しい苦行の生活によっても悟ることはできない。どちらにも偏らない中道の生活をしてこそ、悟ることができるはずだ。」と、お悟りになり、スジャータから修行者が食べてはいけない乳粥(ちちがゆ)を、口にされたのでした。
ただ、「優雅な王子の生活」、「厳しい苦行の生活」、「乳粥」という言葉は、現在ではちょっと想像できないので、適切ではありません。
分かりやすく、言い換えれば、「だらだら怠けた生活でもいけないし、余裕がない頑張りすぎの生活でもいけない。」といったところでしょうか。
私は、ランニングが趣味です。
ランニングは、練習をさぼっていたのでは、タイムは向上しません。
一方、練習をしすぎても、怪我をして走れなくなることがあります。
私のささやかな経験を、シェアさせてください。
無理のないスピードで、コツコツと走り続けることが、市民ランナーには、一番効果があると思います。(参考、「マフェトン理論」といいます。)
これは体験したことですが、毎日、同じコース、同じ距離を走っているだけでも、あるところまでは、自然にタイムが伸びていきます。
2000年(47歳)の時、あるマラソン大会で、12㎞を2時間36分のタイムでした。(1㎞を13分のペース)
そして、2014年(61歳)の時、同じマラソン大会で、10km走では、1時間5分でした。(1㎞を6.5分のペース)
驚いたことに、いつの間にか、約2倍ペースでの走るようになっていたのです。
イチローの名言に、「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」という言葉があります。
まさに、その通りだと思います。私の例は、イチローとはレベルが違いすぎますが。
中道とは、道に中(あ)たるという意味があると、高橋信次先生からお伺いしました。
つまり、無理のない、理に適った努力をコツコツと積み重ねていくことによって、知らないうちに、大きな成果を得ることができるのが、中道の行き方だと思えるのです。
高橋信次先生の「心行」に、このことを、端的に表現した一文があります。