「デジャブ」とは、日本語に訳すと、「既視感」といい、初めて行った場所なのに、何故か訪れた記憶を呼び起こされる状況を指します。
ヴィアドロローサ(苦難の道) 十字架を背負うイエス

ヴィアドロローサ(苦難の道) 十字架を背負うイエス

先日、友人と一緒に、食事をしていた時のことです。
彼女が尊敬されていた、亡きA先生と一緒に、インド旅行をされたことを、話してくれました。
 
彼女が、A先生に初めてお目にかかった時に、思わず、「お久しぶりでございます。」と、口走っていたそうです。
 
しかし、ご自分がそのように語った記憶はなく、後から周りにいた人たちに、そのように話していたことを、聞かされて、知ったのだそうです。
彼女は、おかしなことおあるものだと、思われたそうでした。
 
ある時、彼女は、そのA先生から、強くインド旅行に行こうと誘われたそうです。
飛行機が大嫌いで、何度もお断りをしたそうですが、根負けしてA先生のインド旅行に、同行されたのだそうです。
その目的は、仏跡(仏教に縁りのある地)を巡る旅でした。
 
そして、行く先行く先の仏跡で、涙が出て、泣けて、泣けてしょうがなかったというのです。
目的地に着くたびに、泣けてしまいます。
それが、目立ってしまい、他の参加者から、「あのおばあさん、また泣いているね。」といわれるほどでした。
これを、デジャブ(既視感)といいます。
 
そのお話を聞いて、私も、イスラエルに旅行をした時のことを、思い出しました。
 
東京の友人に誘われて、1994年のゴールデンウィークに、イスラエルとエジプトを旅行しました。
1994年4月25日に、当時の名古屋国際空港(現県営小牧空港)を出発して、パリのシャルル・ドゴール空港を経由して、イスラエルのテル・アビブ空港に到着しました。
 
実は、出発の翌日(4月26日)に、小牧空港で、中華航空140便墜落事故という大惨事が起き、機内でもらった新聞には、大事故の写真が載っていました。
「出発日がずれていて、本当によかったね。」と、友人に言われました。
 
その当時は、中東戦争の後遺症が多少はあったものの、まだまだ治安が良かったです。
そのため、どこにでも、自由に行くことができました。
イエスが山上の垂訓を行ったガリラヤ湖

イエスが山上の垂訓を行ったガリラヤ湖

イエスが、山上の垂訓をしたというガリラヤ湖のほとりに行った時でした。
「イエスは、湖面近くの岸側から、高くなった斜面に集まった民衆の方に向かって、説教をされた。」という話をガイドさんから、聞きました。
それを聞いた途端、何故か、胸から熱いものがこみ上げ、涙が溢れて来たのでした。
カペナウム イエスが説法したといわれるシナゴーグ

カペナウムにあるイエスが説法したといわれるシナゴーグ

そして、カペナウムの古いシナゴーグの跡に行った時、「このシナゴーグは、非常に古い時代からあり、イエスが説教をされたかもしれません。」という説明を聞いて、同じように、こみ上げてくるものがあり、涙がこぼれました。
 
友人に、「行く先、行く先で、涙が出る。」と話をすると、少し驚いて、「それは良かったね。」と言ってくれました。
 
エルサレム市内には、「ヴィアドロローサ」(※ 苦難の道)があります。この道は、イエスが、ローマ総督ピラトの官邸で有罪判決を受け、そこから十字架を背負い、十字架に架けられたゴルゴダの丘まで歩いたルートです。
ヴィアドロローサ イエスに出会うマリア

ヴィアドロローサ(苦難の道) イエスに出会うマリア

途中に、聖母マリアがイエスに最後の別れをした場所(ステーション)、さらに、キレネ人シモンが、イエスに代わり、十字架を背負うことになった場所など、いくつものステーション(留)がありました。
最終地点のイエスが十字架に架かったゴルゴダの丘は、現在では町はずれではなく、すっかり市街地に変わっていました。
「ヴィアドロローサ」には、古い時代の面影は、ほとんど残っていませんででした。
しかし、その当時のことを偲ぶと、イエス(インマネール)を、失った悲しみで、胸が張り裂けるような叫び声が、甦ってくるように、胸の奥で感じられるのです。