晃月神諭の中に、以下のご神諭があります。
心は
ヒトの
道具立て、
鏡の理、
これが第一
(961008 )
在りし日の松川晃月師

在りし日の松川晃月師

何を言っているのか、分かりにくいので、次のように、解釈させていただきます。
【解釈】
心とは、人が自由に使える道具である。
一番重要なことは、鏡の理(法則)を知ることである。
自分の姿を鏡に映し見ることで、自分自身を知りなさい。
この言葉は、古代ギリシャのアポロン神殿の入口に刻まれていたという「汝自身を知れ」という格言につながる言葉です。
 
日本には、鏡が祀られている神社が多くあります。
伊勢神宮には、三種の神器の一つである「八咫鏡」(やたのかがみ)が、ご神体として祀られています。
 
私の近くにある神社にも、賽銭箱の奥の方に、鏡が祀られているのが見えました。
ただ、最近は、仕舞ってあるようですが。
 
神社に、鏡が祀ってある理由は、「汝自身を知れ」という意味だと思います。
それは、自分自身が、いつも「穢れがない」状態であることを、確認するようにという、無言の教えだと思うのです。
 
鏡に映った自分の姿を見ることで、客観的に自分を振り返る(反省する)ことができるのです。
 
個人的な趣味の話になりますが、私は毎朝、鏡に向かって、木刀での素振りと居合の型の稽古をしています。
1年ほど前から、この朝稽古を始めました。
 
木刀の素振りも、真剣を使う居合も、流派の型に忠実に動作できるように、何度も何度も繰り返し、稽古をします。
鏡を見ることによって、師の教え、教本の通りに、正しく動いているかを、チェックすることができます。
完全な形にはならないですが、下手な稽古を繰り返すうちに、少しずつ正しい形に近づいていきます。
 
実は、最初は、素振りの型を正しく行おうとすると、体中のあちこちに、痛みや、苦しさを感じて、とても辛いものがありました。
始めは、正しい型で、素振りを10回続けるのが、やっとのことでした。
そのうちに、少しずつ慣れてきて、今では、50回の素振りを、休まずにやりきることができます。
 
姿勢を制御する、体幹の筋肉、インナーマッスルが、鍛えられたのかもしれません。
 
真剣を使った居合の型の動きも、朝練を始めたころは、ぎこちなく、鏡で見る姿は、まったく様(さま)になりませんでした。
 
毎日毎日、素振りや居合の型を、繰り返しやっているうちに、ここはこのように体を捌いたほうが良いとか、この点に気を付けてやったほうが良いというアドバイスが、どこからともなく降りてきます。
 
以前、水泳の練習をしていた時もそうでした。
「もうこんなクロールなんて、苦しくて泳げない。」と弱音を吐いても、トレーニングを積み重ねていくうちに、少しずつ体が泳ぎを覚えて、楽に泳げるようになっていきました。
 
素振りや、居合は、鏡を見ながら、自分の動きに修正を加えていくことができます。
ご神諭の「鏡の理、これが第一」という言葉通りだと、納得できました。
ご神諭にある通り、ヒトの心は、自分自身の姿を映し出す道具です。
「反省」、「内観」は、自分の心の中にある鏡に、自分の思っていること、話していること、行っていることを、映し出して、チェックすることです。
剣術や居合の稽古で、最初は慣れなくて、体が言うことをきかなかったのが、毎日、鏡を見て稽古をするうちに、少しずつ正しい動きができるようになっていきます。
「反省」、「内観」も、毎日、少しずつでも、自分の内面を見るように、続けるうちに、徐々にレベルが上がっていくのだと思います。
武術でも、正しい型を学ぶように、心の正しい物差しである「正法」、「八正道」を理解することが第一に重要なことなのです。
そして、いつも心の鏡を磨いて、ピカピカにしておきたいものです。