先月11月1日に、「息子の死」というブログを公開させていたいただきました。
その友人と、一泊旅行の約束をしていたので、先日(11/29, 30)、知多半島の先にある、日間賀島という島の民宿に、二人で泊まってきました。
私自身は、人の死とは、その魂にとっては、人生の卒業式であり、あの世からみれば、蘇りであると考えています。
しっかりと、自分の使命を果たして、あの世に戻った魂ならば、あの世ではお祝いがされるでしょう。
とは、言うものの、息子に先に逝かれて、遺されてしまった老夫婦にとっては、何にも代えがたい苦痛であることは、間違いがありません。
親しい人の死によって、会うことが出来なくなってしまうためです。
親しい家族の死により、鬱になってしまう方もおられます。
その友人は、出発の車の中で、「息子のことには、一切、触れないでほしい。」と、おっしゃいました。
自分も、出来る限り、触れずにおこうと思っていたものの、うっかり、触れてしまったこともありました。
最初に、行きの車の中で、すぐに気づいたのですが、彼の心が休まっていないことでした。
横の座席に座っていると、気がたっていて、ピリピリしていて、悲しいような、いらいらしたような感情が、彼から伝わってきました。
私は、出来るだけ、無難で面白そうな話題で会話をするように、誘導しました。
出発直後は、彼のいらいらが、強く感じられましたが、少しずつ、感情が収まっていくのが分かりました。
途中で、彼の生まれ故郷の町に、寄りました。
彼の叔父さんの住んでいる家の前で、車を止めました。
そして、思いがけないことに、ご自分から、触れてほしくなかった息子さんの思い出を、語り始めたのです。
「この家に、二人の息子とよく遊びに来た。船に乗って沖に、良く出かけたものだ。」
息子さんたちとの楽しかった思い出に、しばし、浸っておられました。
夜になり、宿に着いてからのことです。
私が、先に風呂に入っている間に、彼はパソコンを荷物から取り出して、インターネットにつなごうとしたのですが、Wi-Fiに接続できません。
風呂から出たら、民宿の主人と、一悶着、起きていました。
気分が落ち込んでいる時に、思うようにならないことが起きたので、冷静に対処することが出来なかったようです。
私のスマホを使い、テザリングによって、接続ができるようになり、問題は解決しました。
人間は、悲しみに沈んでいる時は、やることなすこと、うまくいかなくなる場合があります。
彼も風呂から上がり、食事をした後から、余裕が出てきました。
お互いの人生を語り合い、その日はゆっくりと眠ることが出来ました。
お互いの人生を語り合い、その日はゆっくりと眠ることが出来ました。
翌朝、二人で、趣味の写真を撮りながら、島を散策しました。
近くの新しいホテルのロビーに入ったら、広いベランダがあり、そこから展望すると、穏やかな海面に、強い太陽の日差しが反射して、強烈に光っていました。
その光を見ていると、すべてが癒されるような気持ちになります。