先日、ある方と、お話をする機会がありました。
それほど長くない時間でしたが、お互いに本音で語り合うことが出来て、とても良かったと思います。
それは、高橋信次先生が、エル・ランティであるのかどうかに、関わるお話でした。
GLA関西本部としての公式見解は、次のようなものです。
「高橋信次先生がエル・ランティであることは、確認ができない。確認できないということは、そうだとは言えない。グレーなこと、疑わしいことは、先生の弟子として、認めるべきではない。」
それは、カリスマ的な存在であった、既に亡くなりになった、元GLA関西本部長の見解であり、現在も、それが踏襲されているのです。
私は、昨年(2019年)5月に、始めて、GLA関西本部を訪問した時、本部集会の場において、自己紹介をさせていただきました。
その時、次のように、明言させていただきました。
「高橋信次先生は、エル・ランティだと思います。」
しかし、彼は、次のように、おっしゃいました。
「エル・ランティのことは、現在の関西本部では、タブーだ。だから、それを、殊更に、持ち出すことは、調和を乱すことになる。 自分は、信次先生ご本人が、おっしゃっているのだから、内心、そうだと思うけれど。 でも、それを、強く言うのはまずい。それを、言っても何も変わらないし、あなたへの見方が、悪くなるだけだ。」
彼の忠告は、確かに、尤もだと思います。
昨年(2019年)、始めて関西本部を訪れた時、エル・ランティはタブーであるという暗黙の了解があるとは、知る由もありませんでした。
実は、先日から、公開を始めさせていただいている「新・復活」の原稿の中には、次のようなくだりがあります。
1976年関西3月研修会の時のご講演の中で、講師の方々は、次のようなことを思っておられたようなのです。
「先生は、自分の子供(※ 佳子さんのこと)に甘くなってしまった。 すっかり子供の言葉を信じている。 恐ろしいことだ。 先生は、サタンにまどわされている。 しかし、先生の説いている法は間違ってはいない。 僕等は法を信じていこう」 …… 「そうだ 俺達は誰を信じていいのかわからない。 法を信する以外にはないだろう。 先生は サタンに まどわされているのだ。 俺達は法を信じよう……」 …… 一人一人から、発信されている心の波動はすべて本末転倒していた。 正しい法を説いている 師を信じないで なぜ正法が信じられるのだろうか。 手にとるように、一人一人の心の中で思っていることが分かってしまうからである。 私は悲しかった。
自分の弟子が、エル・ランティという存在に、疑念をいだいていることを、信次先生は、見抜いておられたが故に、悲しまれたのでした。
そして、このように、書いておられるということは、いずれそうなることを、予知されていたのかもしれません。
そして、このように、書いておられるということは、いずれそうなることを、予知されていたのかもしれません。
信次先生の説かれる「正法」は、信じることが出来るが、「エル・ランティ」については、疑問だという考えは、本末転倒していると思います。
この本末転倒を、解決するすべもなく、40年以上の月日が経ってしまいました。
信次先生は、「エル・ランティ」なのですか?
という問いは、特に、古くからのGLA会員の心の奥には、多かれ少なかれ存在しています。