昨日(3/14)の「新・復活」その7 聖書の原点 に続き、高橋信次先生の「新・復活」その8 物質経済の奴隷 です。
この部分は、信次先生が、20世紀の経済社会の深刻な問題の本質について、述べておられます。
「新・復活」その8 物質経済の奴隷 (よみがえった 聖書の原点)
人間は物質経済の奴隷になってはならない。
一人一人の人間が人生の何たるかに目覚めたならば、現在のような不平等な経済社会は消滅し、心、優先の物質経済をより調和された社会生活を営むための 宝石に変えることができるのである。
人間、価値観の転換を計らなくてはならない時が来ているということだ。
資本主義理論も唯物主義理論も人間のつくりだした智識であって智慧の段階には入っていないということだ。 人間同志の信頼関係は物質経済のみに依って成り立つものではない。
それ故修正資本主義、修正社会主義というように時代時代に応じて、間違った思想は目先を変えて行くものなのである。
正法とはほど掛け離れた智識の段階だということだ。 権力や武力に依って間違った思想を人間に押しつけても、本来人間の心の中に生きる心の領域が存在しているということである。 間違った思想はいつの日か、大衆の心が遊離し必ず此の地上界から消滅して行くということを知るであろう。
又間違った思想や宗教を改めるために天上界よりその使命を持った魂がこの地上界に肉体を持ち調和された社会をつくるために使命を果たして帰る場合が多いのである。 オギスト・コント、ハバード・スペンサ、ヘイゲル・マルクスなどもすべて天上界より調和された社会を造るため使命を持って生れて来た天使達であった。
しかし、最も大事な人間の心を忘れ去り、物質経済に重点がおかれた点、彼等の智が真実の道からはずれてしまったのだと、ミカエルは私に言っている。 又人類を厳しい階級闘争に追いやり、闘争と破壊の思想を生み出した思想家達の罪は自からその責任は果たさなくてはならないということだ。
人間一人の命の広さは、地球の広さより広いものであるという。 この命を、決して他人が奪う権利はないということだ。
いかに物質経済が満たされたからと言って、果して、みたされた人々がみな幸福だという保証がどこにあるのだろうか。 経済的に恵まれている家庭なのに、夫婦は不調和、親子は断絶という例は限りなく世間には存在している。 例え経済的に恵まれていなくとも、夫婦はお互いに信頼し合い、親子は助け合って明るい家庭の例も限りなく世間には存在しているはずだ。
人間同志心と心の交流、心の対話が最も必要な条件だといえよう。 良き家柄だという生れから虚栄心のまま、人生を送る愚かな人々もいる。 真実ではない人間の生活程、みじめな人生はないということだ。
(その8へ続く)
以上、です。
高橋信次先生は、次のように、強く訴えられます。
人間は物質経済の奴隷になってはならない。 人間、価値観の転換を計らなくてはならない時が来ているということだ。 資本主義理論も唯物主義理論も人間のつくりだした智識であり、正法とは掛け離れている。 間違った思想はいつの日か、大衆の心が遊離し、必ずこの地上界から消滅して行くということを知るであろう。 ※ この預言の年(1976年)の15年後(1991年)に、ソビエト連邦は、崩壊しました。
そして、このような物質経済を、私たち、一人一人が、価値観の転換をすることによって、変えることができると、主張されておられます。
一人一人の人間が、人生の何たるかに目覚めたならば、現在のような不平等な経済社会は消滅し、調和された社会生活を営むための、心、優先の物質経済に変えることができる。
この21世紀に入り、日本の社会は、益々、物に溢れています。
物が豊かになった反面、物に心を奪われて、心の豊かさという本当の幸せを、見つけられないでいる人たちも、おられると思います。