高橋信次先生の「新・復活」その17 1976年4月11日大講堂講演1

晩年の信次先生 スピリチュアル
今日(11/13)は、先日(10/27)、アップしたブログ「高橋信次先生の「新・復活」その16 サタンの毒2」の続きです。
 
内容は、1976年4月11日に、両国の日大講堂で行われた、「心の中に内在されている英智」と題された講演会について、信次先生が書き下ろされたものです。
「新・復活」原稿_サタン・ルシュエル現す

※ この「新・復活」は、1976年に、高橋信次先生によって、書かれました。

「新・復活」その17 1976年4月11日大講堂講演1

 櫻の花が都会を飾っていた。
 一九七六年四月十一日、日大講堂において 「心の中に内在されている英智」  という 私の講演会が行われた。
 会場を埋めつくした聴衆の心を正しくゆり動かして、神の子としての自覚にめざめさせるためには、私一人の力で出来るものではない。  天上界の協力がなければ、不可能である。
 又、聞き入る人々の心に住する 魂の兄弟や守護、指導霊達の協力も欠くことが出来ない。  私の講演会の場合、各人の魂の兄弟や守護指導霊が肉体を持っている者達の側で一緒に聞いている場合が多いからである。  心の美しい者達の肉眼で見える場合が今迄も多かった。
【補足説明】 心の美しい人たちは、肉眼で守護・指導霊が、今までも見える場合が多かった。
 又逆に、悪霊に支配されている聴衆者の場合は、口からあわをふいて後にひっくり返されたり、意識を一時持って行かれる場合もあった。
 又、心のみにくい者達は、金しばりにあって、体の自由を失ってしまう者達もいた。  彼等の殆んどが、間違った信仰をしている人々である。  私の側に支援している光の天使に依って、光の輪のようなものが投げられ、その光の輪に依って肉体を束縛されてしまうということである。
 しかし信ずる信じないは別問題であり、日常の生活の中で、偽我のままの生活をして心を悪魔に売ってしまった人々に、此のような現象が現れて来るといえよう。
 大講演会になると必ず、数人はこのような現象に見舞われることが多かった。  このような人々の体からは、黄金色の光は出てはいない。  うらみの念の強い人、相手の罪を許せない人々であった。  愛もなく、慈悲もなく 他人からそれを求めて、自から他人に与えない一方通行の人々達なのである。
 そして自分自身が苦しんでいるのに、この苦しみは夫のせいにし妻のせいにし、姑のせいにする。  しかし、苦しんでいるのは自分自身なのである。
 私達は、此の食べ物は腐っている毒が入っていることが先にわかると殆んどの人々は口に入れないだろう。  食べれば、死んでしまうことを知っているからだ。  しかし心の毒は、平気で食べてしまうのが常である。  食べ物の毒は、肉体を亡ぼすが心まで亡ぼすことはしない。
 心の毒は、死後の世界まで持って帰ってしまうということを知ったならば、うかつに食べられないということを、私達は知らなくてはならないだろう。
 世の中には、我慢強い人がいる。  他人の前で、どんな苦しいことも悲しいことも打あけることなく、心の中につめ込んで耐えている我慢強い人々がいる  このような人々の心は、いつの日か腐敗して肉体的にもぼろぼろになってしまう。
 忍辱の心が必要なのである。  ※ 忍辱(にんにく)の心とは、耐え忍んで、毒を食わない心をいいます。  いかなるはずかしめを受けても、良くこれに耐えて、心の中はいつも朗らか、常に安らいでいなくてはならない。
 不必要なことは、心の中にとどめておかないことだ。  そのためには、その原因がどこにあったのか、苦しい自分に悪い原因があったなら素直にその根を除くことが大事なのである。  その根を除かない限り、又同じ苦悩を味わうことになるだろう。
 若し、自分に原因がなかったならば、相手を許してやることだ。  許すことも愛だからである。
 こうして、今日の聴衆者の中には、心の富める者、心の貧しいもの人それぞれあった。
 仏教の信者、キリスト教の信者、日本神道、共産主義者、自由に集まって来ていた。  部厚い聖書を小脇に持っている者から、仏典を持っている者  宣教師から僧侶、一般大衆、学生、主婦、実業家、OL、職業もまちまちであった。
 私の講演会が始まる頃は、ざわめいていた講堂の中も、水を打ったように、静まり返り、視線は私に集中された。
 
以上、です。
 
この1976年4月の日大講堂におけるご講演は、信次先生が昇天される2ヶ月ほど前に行われました。
講演会の集大成と言って良いでしょう。
 
信次先生のご講演は、通常、普通の法話と、現象の2本立ての場合と、法話のみの2通りがありました。
現象とは、心が調和された人たちに、登壇していただき、その方の守護霊さんに語っていただく、良い方の現象と、もう一つは、心が調和されていない方に、憑いている悪霊、悪魔、動物霊を天に返すパターンがありました。
 
神の子としての自覚にめざめさせるためには、私一人の力で出来るものではない。 天上界の協力がなければ、不可能である。又、聞き入る人々の心に住する 魂の兄弟や守護、指導霊達の協力も欠くことが出来ない。

 

とあるのですが、これは信次先生の力が不十分ということではなく、見えない世界のすべての力を動員して、ご講演と、現象を行っておられたのです。
このことは、万事について当てはまることで、例えば、ヒーリングも、このような天の力をすべて結集して行われるべきだと思いました。

信次先生が活躍された1970年代であっても、「鬼滅の刃」が上映されている、現在(2020年)であっても、眠っている魂を揺り動かして目覚めさせる方法も、迷っている霊を成仏させる方法も、何も変わっていません。

 うらみの念の強い人、相手の罪を許せない人々であった。  愛もなく、慈悲もなく 他人からそれを求めて、自から他人に与えない一方通行の人々達なのである。

 

上のような人達は、悪魔や悪霊に支配されている人たちといって良いでしょう。

 食べ物の毒は、肉体を亡ぼすが心まで亡ぼすことはしない。  心の毒は、死後の世界まで持って帰ってしまうということを知ったならば、うかつに食べられないということを、私達は知らなくてはならないだろう。

 

食べ物の毒は、体を壊すだけですが、心の中にため込んだ毒は、死後の世界にまで、持ち越されて、そのため、昇天できずに、地縛霊となったり、あるいは、悪魔・悪霊として、冥界に長くとどまらなくてはならないことを、知らなくてはなりません。
心の毒を溜め込まないように、日頃から、明るく楽しい生活を心掛けたいものです。

今日の聴衆者の中には、心の富める者、心の貧しいもの人それぞれあった。 仏教の信者、キリスト教の信者、日本神道、共産主義者、自由に集まって来ていた。 部厚い聖書を小脇に持っている者から、仏典を持っている者 宣教師から僧侶、一般大衆、学生、主婦、実業家、OL、職業もまちまちであった。
信次先生の講演会には、ありとあらゆる人々が集まってこられました。 心の富める人たちにも、心の貧しい人たちに対しても、どのような思想、立場、職業の人たちに対しても、誰もが理解できるように、宇宙の法則について、説法をされました。 現在のスピリチュアルリーダーのように、会費を取ることはなく、入場は無料でした。 喜捨箱が置かれていましたが、大金をご喜捨される人は、決まって、信次先生お一人でした。 このような孤軍奮闘状態の中で、信次先生は人生を卒業されて、1976年6月25日、天上界にお戻りになられたのでした。
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