この「サタンからの通信」のメッセージを、ブログで公開することに、かなり躊躇しました。その理由は、内容があまりにも、生々しいからです。
昨日、「光と影のやさしいお話」を公開できましたので、「地獄の救済」の続きである、この高橋信次先生のメッセージを、取り上げさせていただきます。
これを読まれる前に、「光と影のやさしいお話」、「地獄の救済」を読んでいただくように、お薦めいたします。
高橋信次先生 ご講演 1976年9月号 表紙

このメッセージを読むと、どんなマフィアのボスや、やくざの親分でも、こんな凄みのある言葉を吐くことはないのでは?と思えるのです。

これだけを読むと、救いが見えてこないのですが、結局は、サタンも元は神の子、秋田県のなまはげのように、悪役を演じているにすぎないと、受け留めていただけると幸いです。

信次先生は、ご発表当時(1976年)、サタンをいずれ救うという信念のもとに、この「サタンからの通信」を公開されたのだと思います。
以下、引用させていただきます。

サタンからの通信

黄金の翼をもった天使よ、
我は実存せる魔界の帝王なり。
我はそなたらの正法に阻まれず、我思うところに、我あり。
前途をはばむ者は、すべて抹殺せん。
そなたらの生命は、我が手にあり。
この地上界より抹殺せんことを、今、そなたらに通告する。
我がこの現象において、そなたミカエルと戦いしとき、予期に反して敗北し、爾来、そなたへのうらみ、つのるばかり。
そなたが転生を繰り返し、エル・ランティーの命をうけ、この地上に生まれたる時は、我はそなたに苦しみを与えん。
我らは、すべての時を超え、そなたらを、いつの日にか暗黒の我らの世界へ誘わん。
暗黒は、我らが安住の世界にして、我が母なり。
ヒトとして地上に生まれたる者、弱きものなり。
我らの願いは、人の恐怖心なり。
恐怖は、己を忘れ、迷いを生むものなり。
我らの生命、そこにあり。人が墓穴を掘り、右往左往するとき、至上の喜び我をつつむ。
暗黒の星、それは我なり。
すべての者、我が命に服せり。
我らは、所在なき、魔神なり。
暗黒に君臨せる偉大なるサタン、そは、我の名なり。
我が手下は多く、我にかしずく。
次元に左右されず、我らは、どこへなりとも姿を見せん。
地上界は、我の思うままの世界にして、人間は、我の下僕なり。
物に溺れ、金に迷い、情欲に流され、地位、名誉にとらわれる。
これこそ、我が意中にあって、我らの思うところなり。
我らの頭上に栄光あれ。
我らは、真の強者(つわもの)であり、力であり、力は常に、勝利する。
勝利のために、愛は無用なり。
慈悲を施す者は、反逆なり。
人に尽くすは、小善なり。
我らは、思うままに、そなたらの心の中に忍び入り、我が思いを果たさん。
我らの体、動物より与えられ、ゆえに、強く、激しく、本能的に動くものなり。
真の強者は、情無用であり、獣の姿なり。
戦い、そして戦い抜いて、それに勝利したる者が真の王者であり、支配者なり。
反抗せる分子は、問答無用にして、抹殺すべきものなり。
我らの思想、赤い国に君臨せり。
我、思うままに支配せり。
そなたらの思うままには、我らはさせじ。
我は、神の帝王なればなり。
我らを憎み、我らをのけ者にし、我らを忌み嫌う、黄金に輝くそなたたちよ。
我らは、そなたたちと同じ意識を持つ者なり。
我らは、そなたたちと同じ、魔の使者なり。
我らの仲間、我らを含めて、七人の魔の使者あり。
しかし、我らの世界は、そなたらの世界の極に位置し、君臨する。
同じ型の、逆ピラミッドがその世界なり。
その頂点に、我あり。
人は、魔の法に、魂を売り安し。
これ、すべて、魔神の大慈悲なればなり。
我らが正しきこと、いつの日にか実証せるときが来たらん。
その時、そなたらは驚き、仰天し、我らに服するものなり。
必ず、必ず、その時を得ん。
その時、そなたら、我が下僕とならん。
(以下、信次先生のコメント)
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「サタンからの通信」にみるようにサタンは、私たちにこのように通告してきた。しかし、恐れるものは何もない。
なぜなら、心を常に調和させ、慈悲と愛の心で行為するなら、彼らは忍び入る機会はないからである。
法の前に、魔は跳梁する。正しき法が地上に満つると、彼らの生活は断たれるからだ。
ゆえに、法を求め、調和に心が向うとき、魔は、手をかえ、品をかえて、人の心を誘惑し、そして、脅迫しよう。
誘惑と脅迫から自己を守るためには、大慈悲の神を信じて、愛の防壁によって道に通ずるしか法のないことを知るべきである。
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《補足説明》以下の補足説明は、私の個人的な見解です。
(1) 我がこの現象において、そなたミカエルと戦いしとき、予期に反して敗北し、
遠い昔、地獄のサタンが、多くの手下を従えて、天上界に攻め上ったことがあったそうです。そのとき、サタンが敗れた時のことを指しています。
サタンは、天使長のミカエル以外を除く、七大天使たちを、ことごとく打ち倒し、ミカエル一人に迫りました。
ミカエルが、「私は、戦いたくない。」といったとき、父なる神から、大きな光輪が投げられ、サタンはまた地獄の世界に、堕ちていったのでした。

(2) ヒトとして地上に生まれたる者、弱きものなり。我らの願いは、人の恐怖心なり。
人間の恐怖心こそ、人間の弱点です。恐怖心によって、人間に墓穴を掘らせるのが、サタン、闇の存在たちの常套手段です。
愛の反対のものは、恐怖心、恐れであるとよく言われます。なかなか、生きている人は、恐怖心、恐れから逃れられないところがあります。心しましょう。

(3) 次元に左右されず、我らは、どこへなりとも姿を見せん。
サタンたちは、元々、天上界、如来界(8次元)以上の世界から、生まれてきているので、事実上、どの高次元の世界にも、姿を現します。

(4) 地上界は、我の思うままの世界にして、人間は、我の下僕なり。物に溺れ、金に迷い、情欲に流され、地位、名誉にとらわれる。これこそ、我が意中にあって、我らの思うところなり。
これまで、地上界の人間は、物、金、情欲、地位、名誉にとらわれて、サタンや、闇の存在に、思うように手玉に取られてきました。
今、「アセンション」を機に、その桎梏(手かせ、足かせ)から、ようやく解放されようとしています。

(5) 我らの思想、赤い国に君臨せり。
サタンは、「力がすべて」という考えで、当時のソ連、中華人民共和国などの、共産主義国家を支配していました。
ソ連の崩壊という歴史的事実によって、世界は大きく変わりましたが、これから、「イベント」、「アセンション」に向けて、もっと大きく変化していくでしょう。

(6) 我らの仲間、我らを含めて、七人の魔の使者あり。
サタン以外に、六人の固有名詞を持つ、魔の使者がいるようです。
例えば、その一人、アステリアは、西洋風の超美形の魔女だそうです。信次先生の布団に潜り込んで、先生に見破られたそうです。
魔は不思議なことに、正体を見破られると、その力を失います。愛の波動を送ると、とても弱いです。その代わり、恐怖心は、彼らを勢いづかせます。

(7) しかし、我らの世界は、そなたらの世界の極に位置し、君臨する。同じ型の、逆ピラミッドがその世界なり。その頂点に、我あり。
天上界を、富士山に例えると、地獄界は、湖に映った富士山の影のような形をしてます。蟻地獄のようなすり鉢の一番底に、サタンがいるというイメージです。
昔、晃月師から聞いたのですが、天上界と地獄界は、ほとんど拮抗(バランス)していて、羽毛1枚分だけ、神(天上界)が、魔(地獄界)に勝って(まさって)いるそうです。

(8) 心を常に調和させ、慈悲と愛の心で行為するなら、彼らは忍び入る機会はない
イエスも、釈迦も、悟る前に、悪魔の試練を受けます。その時、慈悲と愛の心があったため、彼らは誘惑されることは、ありませんでした。

(9) 法の前に、魔は跳梁する。
正しい法が、人々の間に広まっていくと、魔は住処を失うので、必死になって、競い立ちます。

(10) 誘惑と脅迫から自己を守るためには、大慈悲の神を信じて、愛の防壁によって道に通ずる
サタン、悪魔から、自分の身を守るには、大慈悲の神を信じて、愛の行為を実践していくことです。

正と邪、善と悪、光と影といったコントラストの世界が、この3次元の世界です。
私たちは、このコントラストの世界の中こそ、自分の魂を成長させるチャンスです。影の存在があるから、光を学べます。
光だけの世界では、学ぶことが難しく、成長がなかなか進まないのす。
このコントラストの世界は、とても良い学習・成長の場になるのです。
そのため、この「アセンション」のタイミングで、魂たちはこぞって、地球に生まれたいと思うのです。
この3次元の世界で、現象に惑わされないよう、「自己の確立」をすることが、魂の学びなのです。
信次先生は、何度も何度も、口を酸っぱくするほど、「自己の確立」と、おっしゃっていました。
仮に、私たちが来るべき、「イベント」を過ぎ越して、「アセンション」の段階に入っても、私たちは、さらなる高みの「自己の確立」を目指すことになります。
それが、万物の霊長である「人類」の使命なのです。