神聖な神は、私たちから遠く離れているわけではありません。

 

Universal Brotherhood And Goodwill

それは私たちの中にあります。それは私たちの奥深い意識です。神と個人は2つに分かれたものではないのです。それらは一つであり、同じです。ウパニシャッド経典が、”athato Brahma jijnasah” 、「あなたはあれ(神)です。」と言っているのは、そのためです。言い換えると、あなたと神は一体(梵我一如)なのです。

(中略)

究極の目的は、宇宙と一体となり、ワンネス(一体性)を体験することです。ワンネスの経験は、人間体験の頂点です。それは、愛と平和、喜びと歓喜の究極の体験です。それは私たちの理解を超えています。

 

と、オーロラ・レイ銀河連合大使さんは、おっしゃいました。

 

高橋信次先生は、“梵我一如”のことを、“宇宙即我”とおっしゃいました。

それは、瞑想の極致に到達すると、実は自分の意識が、宇宙そのものであるという境地に達するのです。

そのような境地になった時、自分も他人も区別がないのです。

以前、アルクトゥルス評議会も、「あなたがユニバーサルセルフになること」というメッセージで、次のように、おっしゃいました。

 

私たちは、皆、この宇宙を越えている存在です。
確かに、私たちは、この銀河系宇宙や、星々の太陽系、そして、宇宙存在が住む惑星や、衛星を越えたものなのです。

 

あなたがユニバーサルセルフになること∞9次元アクトゥリアン評議会(ダニエル・スクラントンさん経由)

 

ブログ「あなたがユニバーサルセルフになること∞9次元アクトゥリアン評議会(ダニエル・スクラントンさん経由)」(投稿日 : 2021年4月6日)を参照のこと。

本日(R4/1/15)、「普遍的な同胞愛と友好 2022年1月13日 オーロラ・レイ銀河連合大使より」をご紹介いたします。

 

Aurora Ray Ambassador of the Galactic Federation

オーロラ・レイ 銀河連合大使

 

【オーロラ・レイ銀河連合大使のフェイスブックから】
Universal Brotherhood And Goodwill

 

普遍的な同胞愛と友好 2022年1月13日 オーロラ・レイ銀河連合大使より

 

私たちは、成長するにつれ、差別することを教えられます。自分と他の人たちの間に、違いを見出すように教えられます。人に、敵か味方か、目上か目下かのレッテルを貼るように教えられます。また、自分自身にも、レッテルを貼るように教えられます。

このようなことから、私たちと彼ら、優れた者と劣った者、友人と敵といった二面性が、すべて生まれます。何百万人もの人々が宗教の名の下に、何百万人もの人々が国の名の下に、何百万人もの人々がカーストの名の下に、何百万人もの人々が肌の色の名の下に、何百万人もの人々が性別の名の下に、殺されています。

真実は、すべてが一つであり、宇宙の統一体です。非暴力は、この認識から生まれます。

神聖な神は、私たちから遠く離れているわけではありません。それは私たちの中にあります。それは私たちの奥深い意識です。神と個人は2つに分かれたものではないのです。それらは一つであり、同じです。ウパニシャッド経典が、”athato Brahma jijnasah” 、「あなたはあれ(神)です。」と言っているのは、そのためです。言い換えると、あなたと神は一体(梵我一如)なのです。

木を見るとき、その木が、全存在の一つの現れであることを知っていれば、木を別の角度から見ることができます。木は、あなた自身から切り離されたものではなく、身体や心と同じように、あなたの意識の表れであることがわかるでしょう。このような理解は、人生にも、社会にも調和をもたらします。

ヨガでは、私たちが、孤立した存在ではなく、宇宙全体の一部だということを強調しています。このレベルで、自分自身、他人、世界に関われば関わるほど、それだけ、人生や人間関係がもっと平和になります。

ヨガのシステムは、もともと、人々がすべての創造物と調和して生きるための方法として生まれました。多くのヨガのテクニックは、私たちが、個人の可能性や、私たちを特別な存在にしているユニークな才能や能力に気づくように、デザインされています。私たちは誰であり、何を他の人々に提供できるかを理解することで、自分自身を新たに見直すことができ、自分自身と周りの人々に、本当の幸福をもたらすことができるのです。

だからこそ、ヨガでは「他人を傷つけることは、結局、あなた自身を傷つけることになる」と教えているのです。誰かを傷つければ、必ずどこかで、同じ痛みを味わうことになります。本当に幸せになりたいのであれば、他人を傷つけることを、手控えなければならないとヨガは教えているのです。

非暴力は、とても広くて複雑なテーマですが、私たち、非暴力を人生に適用したいのであれば、まず非暴力の意味を理解すべきす。

非暴力は、政治的、経済的な目的を達成するための単なる手段ではありません。それ以上のものです。非暴力は、一つの生き方です。それは、人間社会を悩ますすべての問題に対する答えです。非暴力は、人生の法則である。

非暴力とは、力に対抗するために力を使わないこと、憎しみに憎しみを返さないこと、暴力に対抗するために暴力を使わないことです。それどころか、非暴力は、相手に良い変化をもたらすために、愛と共感と奉仕に加えて、犠牲と苦しみを伴うことを意味しています。

非暴力とは寛容と理解であり、そして、危険と逆境の中での自己犠牲を伴うものです。それは、暴力よりも、強さが必要です。それは、残酷さよりも、人間性が必要です。

非暴力は、人間は、本来、善良であり、したがって、力や暴力に頼ることなく、自分の過ちを修正できるという、確固たる信念に基づきます。

それは、悪は善によってのみ征服され、憎しみは愛によってのみ打ち消すことができ、闇は光によってのみ消滅させられるという考え方です。私たちには、他人に憎みを返す権利も、他人に復讐する権利もないのです。

Sarve bhavantu sukhinah. (すべての人が幸せでありますように) 。Sarve santu niramayah.((すべての人が敵意から解放されますように)。Sarve bhadraani pashyantu makutam bhavadbhih. (吉祥があらゆる場所で見られますように) Om shanti, shanti, shanti. (オーム、平和、平和、平和)

このマントラは、世界の10億人以上のヒンズー教徒や仏教徒たちが、平和への祈りとして唱えています。これは、普遍的な同胞愛と友好の呼びかけです。

私たち、全員が一つである、という考えは理解しがたく、個性への幻想が強すぎて、私たちは真実を見ることができません。

私たちの体は、バラバラのように見えますが、実は宇宙の延長上にあります。私たちの体は、遠い昔に、遠い星の火の炉で作られた物質からできています。私たちは、星屑でできているのです。

私たちの体を作っている原子は、かつては、恐竜や他の動物の体の一部でしたでしょう。私たちの体を作っている原子は、いつか、人間の体か、あるいは、木や植物の体にさえなります。宇宙では、失われるものは何もないです。すべては、ある形から別の形へと変化しているだけなのです。(※ 質量保存の法則)

究極の目的は、宇宙と一体となり、ワンネス(一体性)を体験することです。ワンネスの経験は、人間体験の頂点です。それは、愛と平和、喜びと歓喜の究極の体験です。それは私たちの理解を超えています。

言葉には限界があるため、それを説明することはできませんが、瞑想を通じて、ワンネスを直接体験する努力はできます。

心が、時間、空間、因果のすべての制限を超越したとき、心は静寂に包まれ、澄み切った湖のようになり、以前に、石を投げたときに生じた波紋さえも、消えてしまいます。そのような湖は、不純物や汚染物質に汚染されていない純粋な水で満たされています。この状態になると、あなたの心は、純粋な愛、慈悲、喜び、歓喜で満たされます。

古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは言いました。「同じ川に、二度、足を踏み入れることはできない、なぜらば、絶えず、他の水が流れているからだ」。人生という川は、流れ続けて、私たちがこれまでに経験したこと、行ったこと、何かになったことのすべてを持っていきますが、人生は続くので、私たちは死なないのです。

死は恐れるべきものではなく、私たち自身と私たちが愛する人々のための、新たな変化に過ぎないと考えることができるのです。

人生は循環しています。死も循環しています。私たちは、皆一つなのです。

私たちは、あなたを心から愛しています。
私たちは、あなたと一緒にここにいます。
私たちは、あなたの光の家族です。

エイ・ホー

オーロラ・レイ
銀河連合大使

 

以上、です。  (翻訳: 黒川裕司)

 

古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスは言いました。「同じ川に、二度、足を踏み入れることはできない、なぜらば、絶えず、他の水が流れているからだ」。人生という川は、流れ続けて、私たちがこれまでに経験したこと、行ったこと、何かになったことのすべてを持っていきますが、人生は続くので、私たちは死なないのです。

死は恐れるべきものではなく、私たち自身と私たちが愛する人々のための、新たな変化に過ぎないと考えることができるのです。

人生は循環しています。死も循環しています。私たちは、皆一つなのです。

 

と、オーロラ・レイ銀河連合大使さんは、おっしゃいました。

 

日本人の中には、死んだらすべてが無になると、考える人が多いことも事実ですが、死は、私たち自身と私たちが愛する人々のための、一つの変化に過ぎないのです。

人生という川は、ヘラクレイトスがいうように輪廻をしています。

そして、私たちは、個人個人がバラバラのように見えても、皆一つなのです。

それ故に、私たち人類は、普遍的な同胞として、互いに愛し合い、友好を結ぶのです。   (黒川 記)