一般的に、神社や仏閣に参拝することは、良いことだとされています。
しかし、晃月師は、神社には、あまり参拝に行かない方がよいと、教えておられました。
神社の社
その理由は、浮遊霊などの憑依される危険があるからです。
十三神之祈りをすると、晃月の力によって、一旦、心がきれいになります。すると、後光が射すようになります。
しかし、その後光は、外からの力によるもので、その人の本当の実力ではありません。そのため、本物の後光とは言えないのです。
 
死んで、迷っている浮遊霊たちは、神社や仏閣などに、救いを求めて集まってきます。
浮遊霊たちは、十三神之祈りをしている人を見ると、光っているため、彼らはその人を神様と勘違いして、その人についていけば助かると思い、憑依してしまうことになるからなのです。
 
浮遊霊の多くは、自分が死んでいることを、自覚していません。
そういった霊はどこに行ったらよいか分からず、救われたい一心で、神社や仏閣などで、彷徨っていることが多いです。
 
そういう霊は、藁をも掴む思いで、光っている人が目の前に現れると、その人に憑いてしまうというわけです。
十三神之祈りは、大きなご利益があるのですが、自分自身がしっかりと立たないと、邪や魔がその隙から入られてしまう可能性があります。
 
このことは、GLAにおいても、同様なことが言われています。霊道を開いた方は、内在された心に導通する道ができるので、守護霊とつながりやすくなります。
しかし、それは外部から、心の中に入られやすいことになり、悪霊に憑依されやすく、心の調子を崩しやすくなります。そのため、気を付けた方が良いと、よく言われることと、原理は同じです。
 
波動が高くなればなるほど、つまり、悟りの境地が上がれば上がるほど、「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」の諺があるように、より謙虚にならなければならないと、高橋信次先生は、いつも戒められておられました。
浮遊霊に憑依されないためには、どうすればよいのでしょうか?
そのためには、自分自身が心を磨き、自らの魂を輝かせる以外に、道はありません。
信次先生流にいえば、心と行いが正しい法にそった生活をするしかないのです。
晃月流に言うならば、心言行を一致させて、お神の本願に適う生活をすることになります。
いずれにしても、一朝一夕で到達できる境地ではなく、一生掛かって精進しても、多くの場合、業(カルマ)の積み残しが出ます。
ただし、現在は、地球はアセンションと呼ばれるプロセスに入っており、特別なタイミングなので、そのようなカルマの積み残しに対して、恩赦というか、昔の徳政令のような特別な救いが、あるのではないかと思っています。
そうでもない限り、サナンダ(イエス)や、大天使ミカエルから届く、「今目覚める時」というメッセージは、辻褄があわないと思うのです。
それが、所謂、イベント(solar flash event)が起きる意味です。天使や宇宙人たちが、自分自身を悟る絶好のチャンスに気づくように、促している大きな理由であるといえます。
ただ、そのイベントも、自分自身が意識して、活用すれば、魂の向上に直結するのですが、無関心であったり、逆に、それを恐れてしまったら、チャンスを逃すことになります。
いずれにせよ、地球人類は、他から強制されることなく、自分自身が、お神の存在、死後の世界、宇宙人の存在等に、目覚めて、正しく祈り、正しい法を実践する生活に入らなければ、いつまで経っても、神の国には入ることができないでしょう。