第3回目は、一つ二ツの大神に続いて、神漏岐、神漏美之命についての晃月師のお話になります。
神漏岐、神漏美之命(かむろぎ、かむろびのみこと)
九州の弊立神宮に次のような伝承があるとのこと。
「弊立神宮は高天原神話の発祥地の神宮である。
悠久の太古、地球上で人類が生物の大座に着いたとき、この人類が仲良くならないと宇宙全体にヒビが入ることになる。これを天の神様がご心配になって、地球の中心・幣立神宮に火の玉に移ってご降臨になり、その所に芽生えた万世一系の檜にご降臨の心霊がお留まりなった。これが、神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむろみのみこと)という神様である」と。
私は、27歳の頃に弊立神宮を3度訪れ、不思議な場所だと行く度に思いました。その時は、こんな伝承には気づかず、ペテログラフ(石に刻まれた古代文字)ばかりを見ていました。
私が、お教えいただく神諭や「ことほぎ」によると、この星で霊止として生き物の大座に着いたのは、人類が最初ではありません。ですから、伝承に言う人類は、霊止類と読むべきです。恐竜として知られる霊止は、仲良くというわけにはいかなくって、滅びました。
天之御中主の体内からは、何度も神漏岐、神漏美が生まれ、現在の人々に繋がる神漏岐・神漏美の神が万世一系の魂を形付け現在の世界になったとお教えいただいたのです。
万世一系の皇統をいただく我が産土が、世界の中心にあって、世界を支えるというのです。
支えるのですから、指導するのとは違います。世界は、世界を支える日ノ本を、尊敬し、憧れるというのが、本筋なんであります。
先般も、スコットランドからお見えの方が、「日本には、西洋とは違う何かがある」と仰言って、憧れの目をされていましたが、そういう西洋の良識を裏切らないと言うことが、我々日ノ本人に課せられた使命の一つであります。
神漏岐、神漏美の神は、護られ育てられる神々であります。それは、丁度、幼子が両親家族によって護られ育てられるのに似ています。
そうして、神の子人々の進化と共にある神が、神漏岐、神漏美の命と呼称される神様なのであります。
努力する人々を助け、夢に向かう人々を励ます神々であります。
私達は、その始まりにおいて、かむろの神々をいただいています。だから、努力する人々、夢に向かう人々に憧れを持つのです。
私達は、共に手を取り励まし合いながら、本来は神を仰いで生きなければならないのです。そして、共に努力をし、夢に向かうのであります。
それを、じっと見つめられてお待ちの神が居られると言うことを、ありがたく感謝を以て、思う必要があると思うのです。
【解説】
この神漏岐、神漏美之命について、どのような神であるか?を考えるにあたり、重要な情報があります。
「古語拾遺」という書物には、この神漏岐、神漏美之命は、それぞれ、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神産霊神(かみむすひのかみ)であるとの記述があるのです。岩波文庫「古語拾遺」15ページ参照のこと。
「古語拾遺」という書物には、この神漏岐、神漏美之命は、それぞれ、高皇産霊神(たかみむすひのかみ)、神産霊神(かみむすひのかみ)であるとの記述があるのです。岩波文庫「古語拾遺」15ページ参照のこと。
古語拾遺の記載が正しいとすると、天之御中主之命、神漏岐、神漏美之命の神々は、古事記の「造化三神」(ぞうかさんしん)ということになります。
そうなると、古事記の「造化三神」が、晃月師が説かれた十三神の説明図の天之御中主之命、神漏岐、神漏美之命の神々に重なって見えてきます。
「造化三神」については、三橋健氏の著書「日本の神様」に説明があります。
この神漏岐、神漏美之命は、晃月師から、次のようなお話を伺っています。
「神漏」という意味は、天之御中主之命から漏れ出た神様だというのです。
そして、神漏岐之命が垂迹(すいじゃく)した、つまり、次元を下げた姿が、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)であり、神漏美之命が垂迹した姿が、伊弉冉尊(いざなみのみこと)であると伺いました。
※ 「垂迹する」という言葉は、「別の姿をとって降りてくる。」ことを意味します。「昇天する」とか、「成仏する」の逆を意味します。日本には、昔から「本地垂迹説」という考え方があり、大本の神様が、別の神様の形をとって降りてくるという考え方です。その考え方は、「神仏習合」という考え方と同じで、「神も仏も元は同じなり。」ということに集約されます。
キリスト教で、例えれば、伊弉諾尊はアダム、伊弉冉尊はイブといったところでしょうか。
神漏岐之命・伊弉諾尊は、男性性を象徴する存在です。そして、神漏美之命・伊弉冉尊は、女性性を象徴する存在です。
このアセンションでも、男性と女性の二つの性のバランスをとることが、重要だといわれていますね。