先日、自分が所属している詩吟の流派ので、「吟詠大会」という毎年一回行われる最大のイベントがありました。
流派は、6つの「会」に分かれており、それぞれの「会」が、年毎に、持ち回りで「吟詠大会」を担当しています。
「吟詠大会」の目玉となるのは、「構成吟」と呼ばれる、詩吟、和歌、舞い、等で構成する短かい劇です。
今年の「構成吟」のテーマは、『明治大帝』でした。「明治天皇」の生い立ちから、最後までを、御製の和歌と、明治三英傑などが作った「漢詩」の吟詠、等を、織り交ぜて、物語を展開するものです。
この「構成吟」には、台本が必要です。今回、その台本を書いたのは、担当の「会」のS会長でした。
S会長は、御年、94歳で、杖を突きながらも、矍鑠(かくしゃく)としておられます。
94歳にもなると認知症になる高齢者も多いですが、そのようなことは全く感じさせない気迫のS会長でした。
『明治大帝』の構成吟は、涙なしには観ることが出来ないくらい、感動しました。
ただ、人によっては、評価しない人もいたようです。
「涙が出た。」と感想を友人にもらしたら、彼は、冷静に、どこがそんなに感動するのだろうといった風情で、「こんな右翼のようなイベントで、野党系の元議員が、よく挨拶に立ったものだ。」と、皮肉を言っていました。
大会が終わり、食事会に移動するエレベーターに、偶然S会長と乗り合わせたので、「『明治大帝』、良かったです。」と声をお掛けしました。
S会長は、『明治大帝』の台本について、「私は何も考えていないの。ただ、小学校で習ったことを並べただけなの。」と、いみじくもおっしゃいました。
「そうなんだ。」と思いました。自分には、馴染みの少ない『皇国史観』そのものだったのだと、気づきました。
平成30年の視点で見れば、教育勅語は、大東亜戦争の一つの要因になったという見方も、できるかもしれません。
そのころ、日本は、欧米列強諸国の植民地にならないように、必死になって、一致結束して対抗していました。その時代背景から、日本古来の徳目をわかりやすく並べたものが、教育勅語です。
乃木将軍は、個人的には、あまり好きではないのですが、彼の長男が戦死したときに作った漢詩『金州城下の作』には、感動させる力があります。