バシャールの言葉の中に、地球という環境は、稀にみるスパルタ学校で、宇宙広しと言っても、このようなところを探すのが難しいという表現が出てきます。
なぜ、地球という3次元の世界は、人間の『魂の修行』という観点から見て、難易度が高い環境なのでしょうか?
晃月師が遺された「八柱之理」という文章に、ヒントがあります。
ここに、その「八柱之理」を引用させていただきます。
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万物が、八柱之大神の守護する世界に住んでいる。太陽系宇宙の万物がそうである。「おかみ」は、次のようにおっしゃる。
一つ二ツ之大神をこの世界におろしたとき、一つ二ツ之大神は、二ツ一つ之大神の意図するところをよく汲んで、ヒトの創造に罹(かか)られた。先ず、水之神、次いで、理訳之神、出入り之神、繋之神、支え之神、育て之神、放ち之神、そして、温み之神を呼び、二ツ一つ之大神、創造主たる親神天之大神と唱名する大神の思し召しを伝え協力を要請します。
魚類までは、順調に育ち、これを陸に揚げて徐々に進化させましたが、温み之神の働きが一筋縄ではなかったため、様々な温度が出来てしまいました。これもしかし、二ツ一つの思惑を理解してのことであります。
二ツ一つ之大神は、一つ二ツ之大神、日ノ本では天之御中主之命、の丹精な布施込み(注、働き)を見て、ヒトから、人間を創ろうと変更なさり、これに心の自由用を与えて、自らヒトになる道を、『魂の修行』をさせるためにお考えになられた。
八柱之神名は、中山みき様名付けられた神名でも、他の聖人の名付けた神名でも良いのですが、水之神、理訳之神、出入り之神、繋之神、支え之神、育て之神、放ち之神、そして、温み之神を表わしています。
仏界への垂迹(注、次元降下)を事細かに調べて記してありますが、元々の大神は、八柱之大神であると言うことを理解すれば、事足ります。
本地垂迹説というのは、八百萬之神々を理解するためになされたお話でありますが、八柱之大神が垂迹して、仏菩薩に姿を変えるのであります。
仏菩薩といっても、ヒトが名付けたものであります。要は、ヒトがある想念をもって、様々に名付ける世界があり、世界はそこに決まっていくというのが、心の自由用と言うことの実相であります。
そして、心の自由用が正しい(注、正しいとは、本願に叶うの意味)ものであれば、ますます現証が育ち、ヒトは豊饒に満たされ、そうでないときは、貧しくなるのであります。
八柱之大神に指し示す理は、二ツ一つ之大神の本願を示すものとして、注意深く学習されますよう、お祈り申し上げます。
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上の中の以下の一文が、地球環境での『魂の修行』の起源と、本来の目的を表わしているといえます。
「ヒトから、人間を創ろうと変更なさり、これに心の自由用を与えて、自らヒトになる道を、『魂の修行』をさせるためにお考えになられた。」
二ツ一つ之大神は、最初から悟った完成した「ヒト」を創るのではなく、心の自由用(自由意志)を持ちながら、『魂の修行』を通して、「ヒト」(霊止、日止)に進化する存在としての「人間」を創ることに、方針を変更された、ということになります。
「人間」は、心の自由用(自由意志)を持ちながら、『魂の修行』を通して、「人」、「霊止」、「日止」に進化していくような存在として、創造されたのです。
ここに、創造主(二ツ一つ之大神)と、一つ二ツ之大神(日ノ本では天之御中主之命)によって、創造された、壮大な『お神の計画』(ブループリント)が見えてきます。
地球という3次元のスパルタ学校は、魂の流刑の地でもなく、ミイラ取りがミイラになる墓場でもないです。 それは、お神のご本願から、創造された、壮大な実験場であり、厳しい魂の修行所であったのです。 そして、創造主(大いなる全て)の願い(ご本願)を、この八柱之理を通して、学ぶことができるということを、晃月師から教えていただきました。
【補足説明】
「人間」と「ヒト」の違いを理解しないと、意味が分かりにくいと思いますので、少し説明させていただきます。
「ヒト」とは、「霊止」、「日止」を含んだ高次元の存在としての「ヒト」です。
つまり、「人間」は、3次元の肉体をまといながら、転生輪廻を続けて、「人間」→「人」→「霊止」→「日止」と進化していく存在であり、そこに『魂の修行』があります。
・「人間」とは、人と人の間で、右往左往する、自分軸がない「人」をいいます。
・「人」とは、小さい人が、大きい人を支えている「人」です。
・「霊止」とは、霊の止まったひと、つまり、自分が霊であることを悟っている「ヒト」です。
・「日止」とは、「お日さま」のような後光が、背後に止まっていて、「お日さま」のような慈愛を持つ「ヒト」です。つまり、覚者・マスターのことです。