昨日(10/30)は、「八正道」というブログを書かせていただきました。
蓮の花

蓮の花

本日は、仏教に帰依する上で、最初のかなめとなる「三宝帰依」について、お話をさせてください。
お釈迦様の時代、仏教教団のことを、ブッタ・サンガーと呼んでいました。
 
ブッタとは、仏(ほとけ)、即ち、お釈迦様のことです。
サンガーとは、僧(そう)、即ち、教団を意味しています。
 
三宝帰依(さんぽうきえ)の三宝とは、仏、法、僧の三つを指します。
帰依とは、全身全霊を持って、敬う、尊重するという意味です。
この三宝帰依、つまり、仏に帰依する、法に帰依する、僧に帰依することは、その当時のブッタ・サンガーの一員になるための最低条件でした。
 
お釈迦様が、クシナガラの地で、入滅されるとき、阿難尊者は、次の質問をされます。
「お釈迦様がこの世にいなくなったら、私たちはどうすればよいのでしょうか?」
 
それに対して、お釈迦様は、阿難尊者を叱りつけます。
「お前たちは、これまで、私の説く法を十分学んできたではないか!
 これからは、法に帰依しなさい。自分自身に帰依しなさい。」
 
これを、法帰依、自帰依(ほうきえ、じいきえ)といいます。
お釈迦様がご健在であられたときは、仏に帰依するということは、明確なことでした。
 
帰依すべき仏が、この世を去られたとき、「三宝帰依」をどのようにとらえれば、よいのでしょうか。
 
では、高橋信次先生がお書きになった「三宝帰依」を、「反省のかなめ」(P14~P18)から、引用させていただきます。

三宝帰依

 正法を信じ、行じようとする者は、三宝に帰依しなければならない。
 ブッタの当時もブッタ・サンガーに帰依しようとする者は、まず三宝を依りどころとして、真に自己の確立をはかり、仏国土をめざす一員になることであった。
 当時は、三宝に帰依するには最低一週間の自己反省が求められ、心を堅固にして、サンガー(教団)の一員として恥じない人柄であることが条件であった。
 今日のそれは当時と多少趣を異にするが、やはり、会員たるは会員としての襟度と品位を保ち、会員の名に恥じない人間であることが求められ、またそうした会員でなければ三宝という宝を自己のものにすることができない。
 こうした意味において、三宝帰依の意義を理解し、パラミタ(※ 心の中に内在されている智慧)という偉大な心の宝庫をブッタの威光と守護・指導霊によって開発され、心の安らぎを期せられたい。
 三宝帰依とは、
一、仏に帰依する
一、法に帰依する
一、僧に帰依する
の三つである。
 正法はブッタの説く法を意味するが、その説かれるブッタそれ自身をまず信ずる--帰依することから始まる。なぜならば正法はブッタの口を通して説かれるものなので、ブッタそれ自身を信じなければ、真に正法に帰依したとはいえないからである。
 また、ブッタを信ずるとは、己の良心、仏心を信ずることである。善なる己のよりどころなくして自己の啓発、安らぎの境涯にいたることはむずかしい。
 次の法帰依とは、ブッタの説く正法は人間としての正しい道を示したものなので、生活の場にあってはその法を心のよりどころとして生活することである。法に帰依するといいながら、実生活が正道に反していれば、法を信じているとはいえない。信じたならば行為がなければならない。行為のない信仰は信仰でもなんでもない。その意味で、ブッタの説く法を実生活に活かすことが法帰依である。
 最後の僧に帰依するとは、GLAの場合は会員としての襟度と品位を保ち、社会人の範となる人でなければならない。いやしくも正法を信じながら、人からあれでもGLAの会員かといわれるようでは会員たる資格を失う。少なくとも正道の実践と奉仕に生きがいを見出す神の子の自覚のある人でなければならない。さらに、ブッタの説く正法を人々に伝え、より多くの人が正法に目覚め、ともに生きる喜びを分け与えていかなければならない。それが会員たる責任であり使命である。
 こうして、三つの条件に帰依することによって、会員一人一人の自覚は高まり、神の栄光と喜びに満ちた生活を送ることができる。すなわち、三宝に帰依するとは手中に宝を握ることであり、神仏の加護と守護・指導霊の導きをうけることになるわけである。
以上です。
 
この三宝帰依は、お釈迦様の当時の三宝帰依とは、少し意味合いが変わったようです。
「仏に帰依する」とは、法を説かれるブッタを信じると同時に、己の良心、仏心を信じることです。これは、法帰依、自帰依を意味します。
「法に帰依する」とは、ブッタの説かれた法を実生活に活かすことです。
「僧に帰依する」とは、会員としての襟度と品位を保ち、社会人の範となる人になり、ブッタの説く正法を人々に伝え、より多くの人が正法に目覚め、ともに生きる喜びを分け与えていくことです。
この三つの条件を満たすことができれば、手中に宝を握ることであり、神仏の加護と守護・指導霊の導きをうけることができるのです。
今、2019年という時点では、残念ながら、東京のGLAの本部は、高橋信次先生の説かれた正法、八正道を、人々に伝える使命を果たしていないように見受けられます。
このブログをご覧になられた方々のうちで、少しでも多くの人たちが、正法の価値を認識されて、正法をご自分の実生活に活かされることを願うものです。