今朝は、小雨模様でした。いつもの神社で、Tさんとお話をしました。 雨の中を、自転車で通勤するのは、往復の交通費を浮かすためだと、彼は明かしてくれました。
さて、私が、「結局は、ブログは自分の為に書いているように思う。」と話をすると、Tさんは、「何かのきっかけになればいいんじゃないですか。」と、おっしゃいます。
そして、Tさんは、今までお聞きしたことがない、ご自身の苦い宗教体験を語りだしました。
Tさんは、学生のころ、その教団に入られたようです。そして、次のように語ります。
「宗教団体は、神さまのことを、その教祖を通して学ぶことになる。 でも、本当は、自分で神さまのことを、考えなければならない。」
私も、次のように言って、同意しました。
「昨年、サナンダさんの言葉で、『自分で、人生の操縦かんを握りなさい。』という言葉があったのは、そのことだと思います。」
【参考】
「直ちに自動操縦モードを解除し、自ら操縦かんを握り直し、自分で操縦をし始めてください。流されて、何かの活動に加わったり、ある友人や所属している宗教団体、仕事、組織の決定に考えも無く従ったりしないでください。」
彼は、熱心にある教団に通って、その教団のために、尽くして、活動されていたそうです。
その教団の教祖さまが、ヒノキぶろを作ったり、自分たちのお布施でぜいたくな生活をしていることに、疑問を持つようになったそうです。
そして、その教祖さまが、正妻と別れて、愛人と結婚したことに、ブチ切れたのでした。
その教祖さまが、ご自身のことを「エル・カンターレ」と呼ばせていたので、「エロバカタレ」と陰口をたたくことになったそうです。
それ以来、その教団を離れて、宗教団体を通さず、自分自身で、神に向うようになり、伊勢神宮など、神社巡りをされるようになったのです。
「エル・カンターレ」という名前は、GLAの高橋信次先生が、明かされた神名です。
信次先生から、カンターレとは、お釈迦様のあの世での名前と伺いました。
「七人の大天使の言葉」を、ご参考にしてください。
その教祖さまは、ご自身が釈迦の生まれ変わりであると、お悟りになったのかもしれません。
話は変わりますが、晃月師のところに、ある方が、女性関係の悩みを相談しに来られたことがありました。
晃月師は、「男として、下半身をコントロールできないようではダメだ。それでは、大きなことが出来ない。」と、お叱りになったそうです。
人間は、情欲の煩悩から離れることは、至難の業なのかもしれません。
お釈迦様、ゴーダマ・シッタルダーの悩みの種も、女性関係でした。
今と違って、当時のクシャトリア(武士階級)は、一夫多妻でした。
王子であった、シッタルダーには、自然と多くの女性関係が出来ました。
その女どうしの嫉妬や確執が、シッタルダーを悩ませ、挙句の果てには、正妻と子供、二号さんたちを残して、出家をしてしまったのでした。
その後、彼は、生老病死の苦しみから、逃れる方法を模索して、山中での6年間の厳しい修行に耐えて、大悟しました。
悟ったとはいうものの、妻子を、見捨てて、黙って家出をしたのは、正直なところ、ひどい話です。
シッタルダーは、そのことを生涯、気にかけていたようです。
「悟ったとはいえ、人間として、道を外れた行為は、許されない。」と。
以前、「神が人の運命 拓くことなし」というブログを書かせていただきました。
その中の神諭に、次の言葉があります。
審神の要は現世の要 一、金、 二、差配。
審神(さにわ)とは、神か、神でないかを見分けることです。
つまり、教祖さまが語る神が、本物かどうかを、見抜くのは、その教祖さまのお金に対する態度と、日常の振舞が要、重要なポイントである。
一つに、お金に清廉か、汚くないか。二つに、生活態度が正しいか、例えば、乱れた女性関係などがないか。