このお話は、ベシャキャという名前の女性在家信者のお話です。彼女は、大富豪の娘で、鹿母(かしも)精舎を、仏陀サンガーに寄進されました。
蓮の池

蓮の池

精舎とは、仏陀とそのお弟子が滞在する施設で、仏陀の説法が行われ、比丘、比丘尼が修行をする場所をいいます。
寄進とは、精舎を建設して、仏陀に使っていただくように布施(プレゼント)をすることをいいます。平家物語で有名な祇園精舎は、現在のインド北部にあり、当時、スダッタ(須達、すだつ)長者によって、寄進されました。
ベシャキャは、仏典では、ヴィサーカー・ミガーラ・マーター、毘舎佉(ヴィサクハ)、鹿子母(ろくしも)などの名前で、登場しているようです。鹿母(かしも)精舎は、そのベシャキャによって、寄進されました。
 
高橋信次先生が、著わされたこの「人間・釈迦」のご本は、先生の霊感によって出来上がったものだと、「人間・釈迦 1」の「はしがき」にあります。
 
「……こうした創作は、作者の人生経験が基礎となり、主題についての綿密な資料と、現地調査、長い時間をかけた構想が作品の背景をなしているといわれます。ところが、本書に関しては、こうした過程を全部省略し、いわば霊的な示唆と、手の動きにしたがって、書いたものです。その意味では頼りない、真実を伝え得ない、といわれるかも知れません。が、仏教書や聖書を学んだ人たちにきいてみると、これを手にして、これまでの不明な点が明らかになった、仏典の意味が、よく理解できたと喜ばれています。……高橋信次」
 
「人間・釈迦」のご本に登場する人物のカタカナの名前は、仏典とは、多少の違いがあります。その辺りは、「人間・釈迦」のカタカナ名の表記を使って、このブログを書かせていただきますので、ご理解いただけると幸いです。
 
「人間釈迦 4」(高橋信次著 昭和51年11月24日 第1版) P.28~P.34
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……ウパテッサ(注、舎利弗のこと)の案内で、スダッタと連れの女がブッタの部屋に入ってきた。
「ブッタ、この女性は山一つ越えた隣の町のマーハー・ヴェシャーでございざいます。ブッタにぜひお会いしたいと申されるのでご紹介します」
 スダッタは丁重に紹介した。
 スダッタのうしろに控えていた女は深々と頭を垂れ、なかなか顔を上げようとしない。
「ああ、そうか、よく来てくれました。さあ、さあ顔を上げ楽にして下さい」
 ブッタは気軽に、応接した。
 女は気さくなブッタの言葉に、ゆるやかに顔を上げると、ブッタをまぶしそうに見ながら、
「ありがとうございます。私は、ベシャキャと申す者でございます。ブッタのお話は度々聞かせていただいていますが、いつも心が洗われ、感謝してるものでございます。
 本日は、私の念願を叶えさせて下さいまして、本当に有難うございます。スダッタ様、ありがとうございました」
 ベシャキャはあくまで謙虚に、ブッタに礼をいい、はじめて笑顔をみせた。
 明るい日差しが彼女を映し出している。
 軽く塗った化粧の肌に、ほんのりと赤みがさし、彼女は幾分緊張気味であった。
 ベシャキャはつとめて冷静にと心していたが、やはりブッタの前に出ると心がひきしまり、上気してしまう。
 ベシャキャは多少うわずった調子で言葉をつづけた。
「ブッタの説法をお聞きしたいので、私たち一家はシラバスティーの都に引越して参りました。いつも遠くからブッタの説法を聞き、心が静まり、喜びが胸の中からこみ上げてくるのでございます。
 できることなら私たちにもお手伝いをさせていただきたく、お伺いしたわけでございます」
 ブッタはベシャキャの心の中をすでに読みとっていた。
「あなたは奇特な方です。よく来てくれました。あなたの気持ちはよく分かりますが、その前に、あなたの幼少の頃から一人娘として育てられ、甘えて生きてこられた。あなたは両親をはじめとして、召使いに、いまなにをしてお返しをしておりますか」
 言葉はやさしいが、いっている内容は厳しいものであった。
 彼女はぐっとこたえたが、
「はい、ブッタのお話を聞いてから一生懸命に親孝行を致しております。召使いにも感謝し、報いるよう努めています」
「それならばよい。いつもそのことを忘れぬように」
「ありがとうございます」
 といい、あとの言葉がつづかなかった。
 ブッタのいわんとするところは、サンガーに対する布施もいいが、その前になすべきことをなせ、ということである。
 ベシャキャにとって、いちばん痛いところをやんわりと衝かれた形であった。
 彼女はおそるおそる来訪の目的を告げた。
「私に、ブッタのお弟子の、毎日の食事を布施させていただきたいのです。いかがでしょうか」
「どうしてなされるのかな」
「はい、遠くまで食を求めて修行しているサロモンたちに、近くで容易に食が求められればそれだけ修行の時間が多くなるし、そうして、迷える衆生を導く時間も多くさいていただくこともできると思いまして……」
「そうですか、それはありがたいことだ。では、そのお布施はありがたく頂戴することにしましょう」
「ありがとうございます。それからまた、病人や、看護している人びとに対しても同じように薬や食事の布施をしたいと思います」
「それはどうしてか」
「私は、その病人になにもしてやれないのです。せめて私にできることは、薬や食事の布施しかありません。そうして、病人の方々が早く健康になられ、衆生を救っていただきたいと考えるからです」
「その布施は、そなたの心に、より以上の安らぎと、光明を満たすことになるでしょう」
「ブッタ、ありがとうございます。
 それからもう一つ。それは過日、大雨の時に多くのサロモンたちが裸体でガンガーの川岸を歩いていました。私は始め裸行僧かと思いました。しかし、川岸で生活している娼婦たちが、年若いソロモンたちに、若いうちに楽しまなくては老いてからは遊べないよ。あたしたちと一緒に遊ぼうよ。そんな修行は年老いてからやればいいんだよ、といっておりました。私は驚き、悲しくなりました。娼婦の前を裸で通ることはやめてほしいと思い、雨の時に着る僧衣を布施させて下さいませ」
 ベシャキャは真剣な眼差しであった。
 ブッタは彼女の言葉にいたく感じた。
 人びとが本当に心を裸にして、布施心を持つようになれば、この世はそのまま仏国土になってしまう。
 ベシャキャの心を無駄にしてはならないと思った。
 わきで聞いていたスダッタは、ベシャキャの美しいまでの心根に、いちいちうなずき、自分がなしてきた布施などはまだまだ小さなものだと考えさせられた。
 布施の中身は大きさではなく真実かどうか、である。心のこもった布施ほど、多くの人を感動させ、人の心を浄化するものはない。
 自分の布施も決して無駄ではなかった。人びとに喜びと希望とを与え、明るい社会への基礎づくりにもなっている。
 これからも、ブッタの教えが広く深く伝わるよう、最善の便宜をはかるべく努めなくてはならない、と思うのだった。
 ブッタはいった。
「ベシャキャよ。
 そなたの布施によって多くの弟子たちが、心からそなたに感謝をするだろう。その功徳は、そなたの心の中に光明となって満たされるだろう。病人は薬を飲むごとにそなたを思い出し、健康が回復すればするほどに、そなたに感謝するだろう」
「ブッタ、私は報いを求めて布施するのではありません。布施したいからそうするのです。そして、私のできることはこれぐらいしかありません」
「ベシャキャよ。その通りだ。それでよいのだ。
 あの太陽は熱や光を与えても報いを求めるものではない。しかし、人びとの感謝は、こちらがそれを求めようと思わなくても、光明となって残されるということだ。
 そなたの家の庭園には美しい草花が咲いているだろう。その美しい草花は、実をつけては散っていくが、季節がくるとその種は、また美しい花を咲かせ庭園を飾ってくれる。
 そなたの蒔いた布施の種は、そなたの心の中に安らぎとなって永遠に残されるということである」
「ブッタ、ありがとうございます。
 それからもう一つお聞き届けくださいませ。どうぞブッタ・サンガーのために、私にも精舎をつくらせて下さい。
 シラバスティーの北側に、非常に環境の良い土地があり、修行場としては得難い場所柄だと考えております。
 そうして、私の村びとにもブッタの説法を聞かせてやりたのです。恵まれた環境に生まれた私の勤めだと思っています。
 ブッタ、どうぞ私の願いをきいて下さい」
 ブッタはベシャキャの願いを受け入れることになった。
 ブッタは、モンガラナー(コリータ、仏典では、目犍連(もくけんれん))を呼ぶと、精舎建設の打ち合わせをベシャキャとするように命じた。
 ベシャキャの献身で、やがて、ミガラー・マター(鹿母精舎)が完成されていくのである。
 ここはその名の通り、鹿が住み。風も少なく、修行場としては格好の土地柄であった。
 ベシャキャは自分の考えが、すべて叶えられたので、晴々とした気持でブッタの許を辞した。
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以上、です。
 
その時、仏陀は、生まれ故郷のカピラ城(ネパール)に近い祇園精舎(インド)におられました。
祇園精舎を寄進されたスダッタ(須達長者)に連れ添われて、ベシャキャが仏陀のもとを訪れます。
仏陀は、素晴しいお弟子さんに恵まれたばかりでなく、多くの素晴しい在家の信者からも、帰依を受けました。
 
ベシャキャは、スダッタが、祇園精舎を寄進されたことに習い、精舎の寄進を願い出ました。
ベシャキャのその美しいまでの心根には、本当に心を打たれました。涙がこぼれました。
仏陀も、その心根からあふれ出てくる、女性ならではの細やかな心遣いの布施を、すべて、その場で、受け入れます。
ベシャキャの精舎の寄進も、即座に受け入れて、直ちに、モンガラナー(目犍連)を呼び、建設の指示を出されます。
2,500年前の当時のインドは、聖者に対して、民衆が喜んで布施をする習慣がありました。
私たちも、その心根を見習っていきたいものですね。