いつも神社のお社の前で、拝礼をして、柏手(かしわで)をお供えいたします。柏手は、打つものですが、神さまにお供えするものだと、晃月師から教えていただきました。
社の前で、「この神社の産土(うぶすな)につながる、すべての神霊、すべてのひとびとが、安心して、安全に、幸せに、健やかに、生活ができますように。」と願うことにしています。
神社の管理人のYさんから、「柏手が良い音がしますね。」と褒められたことがあります。
Yさんの話によると、柏手の音の違いで、参拝者がわかるそうです。
そして、私の柏手の音は、とても綺麗だとおっしゃってくれました。
「毎日、お祈りをする時に、柏手を打っているので、いい音がするようになりました。」と、答えました。
柏手の打ち方は、2000年のころ、晃月師にから教えていただきました。
はじめて、晃月師の柏手の音を聞いたとき、とてもきれいなことに、びっくりしました。
左の手のひらと、右の手のひらを、ぴったり合わせて、左手を少し前に、3,4cmほど、ずらします。
手と手を強く衝突させるにのではなく、手首をしなやかにして、自然に、手と手が柔らかくぶつかるように、打ちます。
必ずしも、神社でお供えする柏手が、良い音がするわけではありません。
その場の調和度よって、変わります。そして、自身の心の状態か、柏手の音に、如実に表れます。
柏手は、その場所の清まり具合と、自分が清まっているかを、知る手掛かりになります。
毎日、家の神棚の前で、祈るたびに、観音様に柏手を、お供えするのですが、毎日、自分の柏手の音を聞くので、その音が微妙に変わっても、それがよくわかるようになります。
日々の祈りの中で、「人の清め」という柏手を打つのですが、柏手を打つことで、自らを清めるのですが、同時に自分の清まり具合を、確かめることにもなります。
晃月師は、「人の清め」の柏手が、通らない時は、お祈りをしない方が良いともいわれていました。
自分が清まっていない時に、祈ることは、邪や魔に魅入られるスキを与えてしまうことになるから、と教えていただきました。
晃月師は、「人の清め」の柏手が、通らない時は、お祈りをしない方が良いともいわれていました。
自分が清まっていない時に、祈ることは、邪や魔に魅入られるスキを与えてしまうことになるから、と教えていただきました。
晃月師は、柏手の音で、卦(ケ)を占っておられました。
修達会という勉強会に、招聘するメンバーを、決定するのに、資格のある候補者毎に、その人を思い描いて、柏手を打ち、その音が良ければ、合格とし、よくなけらば、招聘しないという判断をされていましたす。
先生の個人的な気持ちでは、招聘したい人がいても、柏手が通らない、つまり、良い音がしない候補者は、泣く泣く落としていたそうです。
自分の願ごとについて、柏手を打って、お神の意向を伺うことができます。