今日は、令和元年5月1日です。令和で最初の日となります。新天皇が即位をされて、日本は祝賀ムードに包まれています。
ハスの花

美しいハスの花は、悟りの象徴です。

さて、先日、「仏陀として悟りました」という、あるユーチューバーの方の動画を拝見しました。
 
仏陀は、クシナガラの地で、涅槃に入られる前に、全ての弟子たちに対して、次のような預言をされました。
「そなたらは、来世のおいて、ジャブドーバーのケントマティ(注、現在の日本)に生まれ、未来仏の教えを聞き、そして『無上の悟り』を得るであろう。」
弟子たち一人一人の名前を呼び、「無上の悟り」を得ることができると、おっしゃったのです。
弟子たちは、皆喜んで、第一次結集の時には、互いに、「ジャブドーバーのケントマティで、また会いましょう。」と声を掛け合って、別れたといわれます。
 
その意味で、この現代日本に生まれたことは、とても素晴しいことです。
 

ゴーダマ仏陀が出家した理由は、人間の生きることの苦しみ、年をとることによる苦しみ、病気をすることによる苦しみ、死ぬ恐怖による苦しみ、といった四つの苦しみを解決しようということでした。
そのような、大それた「願」を立てて、見事にその目標を達成しました。

仏陀は29歳で出家をして、それから約6年後に、ウルヴェラの菩提樹の下で悟りました。
 
仏陀の悟りは、「四諦八正道」という言葉に、集約されています。
 
ゴーダマ仏陀は、当時の修行者が行っていた、苦行を続けているうちに、苦行に対して、疑問を感じるようになりました。
苦行を続けても、苦が続くだけで、悟りにはつながらないのではないかと思うようになったのです。
そして、ある時、村娘のスジャータが歌う歌を聞いて、ひらめいたのでした。
「弦の音は、きつく締めては、糸は切れてしまう。
 弦の音は、ゆるく締めては、音色が悪い。
 弦の音は、中ほどに締めて、音色が良い。」
弦を中ほどに締めて、はじめていい音色がするというフレーズを聞いて、ならば、人間も苦と楽の両極端を捨てて、普通の生活をすることが、悟りへの道ではないかと気付いたのです。
そして、ゴーダマ仏陀は、きっぱりと苦行を捨てました。
生老病死の苦しみには、原因があるはずだ。(苦諦、集諦)
その原因をなくせば、苦しみはなくなるはずだ。(滅諦)
苦しみを無くすには、苦行ではなく、普通の生活、つまり、中道の生活に戻る事から始めようと思いたちました。
では、中道の生活とは何だろうと、瞑想を始めると、次々と心に答え(八正道)が浮かんできました。(道諦)
・正見。正しく見る。
・正思惟。正しく思う。
・正語。正しく語る。
・正業。正しく仕事をする。
・正命。正しく生活する。
・正精進。正しく精進する。
・正念。正しく念ずる。
・正定。正しく禅定する。
という、八つの正しい道、行為の正しい物差しを発見しました。
その正しい物差し、基準で、これまでの一人生を、振り返ることにしました。
自分が犯してしまった過ちを正す反省をしていくうちに、ゴーダマ仏陀の心の曇りが晴れて、大悟を得ることができました。
ゴーダマ仏陀は、悟りを得たことで、このまま死んでしまいたいと思ったのですが、そこに光り輝く梵天が現れて、死のうと思ったことを咎められ、悟りで得た正しい生き方を、衆生に説いてほしいと懇請されます。
ゴーダマ仏陀は、その期待に応えて、集ってきた、多くの弟子たちや、衆生を教化していったのでした。
悟ったゴーダマ仏陀の華々しい後半生は、皆さんがご存じの通りです。
では、ゴーダマ仏陀が得た悟りの道を、この現代で追体験したら、仏陀のように悟れるのでしょうか?
おそらく、それはできないと思います。
その理由は、あまりにも、生活環境が違いすぎることがあります。
そして、人にはそれぞれ自分自身のカルマがあり、自分独自の悟り方があると思うのです。
魂はこの世に生まれる前に、自分の人生を計画して、どのように悟るかを、あの世で決めてきているはずです。
現代人は、外側にある刺激に、心が奪われやすく、内面をゆっくり見つめる、時間的な余裕がありません。
現在は、仏陀の時代に比べて、夥しい量の情報が氾濫しています。その中で、仕事に追われて、生きていかなければなりません。
一方、現代文明のテクノロジーを活用することができれば、自分がありとあらゆる情報の中から、自分が最も必要としている情報を瞬時に集めることができます。スマホやインターネットを利用して、生活の質を上げることもできます。
それは、悟りを得る上で、プラスになります。
生活がシンプルだった昔と違い、生活が複雑になったことで、反省をして、心の曇りを取り除くことが、容易ではなくなったように思います。
しかし、そのような状況であっても、自分次第で、心の内面を見つめる時間を作り、仏陀の悟った八正道を実践していくことはできると思います。
昔のやり方に、こだわるのではなく、悟りに至る本質を見つけて、自分に合った方法で、人生修行をしていくことが、この現代には、求められているのではないでしょうか。
長い長い転生輪廻の過程で、あらゆる体験をしてきた魂は、己を悟る方法を、自分自身が一番よく知っていると思うのです。