昨日、5月28日は、定められし日によりまして、黒川家之祈りの日でした。
いつも天気のことを気にしているのですが、昨日は、降っているか降っていないか、分からないような小雨、おしめりでした。
朝は本降りで、夜も本降りでした。お祈りを始める時に、陸屋根の屋上に上がった時も、お祈りが終った時も、傘をさしていない人が普通に歩いているような、かすかな小雨でした。
「お清めの雨」を、晃月師は、肯定的に捉えておられました。
家から出た途端に、パラパラと小雨が降ってきたときに、「お清めの雨や」と、元気におっしゃっていたことを覚えています。
家から出た途端に、パラパラと小雨が降ってきたときに、「お清めの雨や」と、元気におっしゃっていたことを覚えています。
昨日の雨は、何かのメッセージだと、直感しました。
最近は、個人的には、とても調子が良く、何か大きな反省材料があるかというと、すぐには思い浮かびません。
今朝(9/29)、神前で、お清めの雨の意味を、心の中で問いました。
「よう考えよ。」という言葉が返ってきました。
私は、「よう考えよ、ということですか?」と、心の中で問い直すと、「そうだ。」という返事です。
昨日の「お清めの雨」の意味を、深く考えました。
自分の出した結論は、生活の大きな見直し、転換ということでした。
小さなことかもしれませんが、今、自分の寝る場所を、ちょっと暑い2階の部屋から、比較的涼しい1階の母が使っていたベッドに移ることにしました。
一昨日、ベッドの下に落ちていた紙くずなどをすべて取り出して、雑巾がけをしてきれいにしました。
母の使っていた棚の本なども、入れ替えました。
丁度今、2階にあるものを、1階の部屋に引っ越ししているところです。
この5月は、数霊でいうと、次の意味があります。(「数霊の話」のブログを参照。)
5星は、「正邪同在物質循環の理」 …… 物質的な循環。世の中で限りなき循環。活発・忙しい。良い循環と悪い循環の両方。
つまり、物質的(3次元的)な循環の月で、良い循環と悪い循環の両方があると、晃月師から学ばせていただいております。
一番、見直さなければならないと思い当たったのが、お稽古事のことでした。
「ああ、お稽古事の教室に通うことをお休みして、悪い循環を断ち切ることを意味しているのだな。」と、思い当たりました。
「ああ、お稽古事の教室に通うことをお休みして、悪い循環を断ち切ることを意味しているのだな。」と、思い当たりました。
毎週通っているお稽古事を、とりあえず、休むことにしました。
その理由は、いろいろありますが、このブログに書くわけにはいかないので、差し控えます。
ただし、そのお稽古事を、すべてきれいさっぱりやめるつもりはありません。
引き続き、その流派に所属して、他のレッスンには参加します。その教室は、お休みする決心をしました。
一人立ちをして、「自分が先生になってみようか?」という気持ちもありますが、それは成り行きに任せます。