昨日(5/16)は、お昼の日々の祈りの時刻、正午から、母親の年祀の儀を始めさせていただきました。
前日に、奏上の文面を考えるのですが、この数年の変化の激しさに、驚かされます。
2015年の夏の日、朝起きたところ、母が私に、「今日は、気分が悪いから、寝ている。」といいました。
私は、近くの川のサイクリングロードに、自転車に乗りに、出かけるところで、「まあ、ゆっくりしていたら。」と、答えて家を出ました。
家に戻ると、母の様子が明らかに変でした。言葉のろれつが回らないのです。
「あっ、脳梗塞だ。」と、直感しました。
やはり、母は脳梗塞で、大病院に入院することになりました。
入院した母は、私の携帯に電話をしてきては、いろいろして欲しいことを頼んできます。
私は、その要求をナースステーションに電話して、伝えるということを、何度か行いました。
母親は、お嬢様育ちなので、遠慮をして、「看護師さんが忙しそうにしているので、頼めない。」というのです。「いくら忙しくても、それが仕事なのだから。」と、何回か言った覚えがあります。
そうした母を看ていて、61歳であった私は、経営者を引退して、母を介護することを決意しました。
どうして、辞めるのかといってくれた人もおられましたが、知り合いの社長に、会社の事業を譲渡(M&A)しました。
それと同時に、松川晃月師に願い出て、黒川家之祈りを、2015年の年末に、創社をさせていただきました。
創社之儀から、ひと月も経たないうちに、晃月師は、2016年1月25日に、神元にお出直しになられました。
そして、2017年5月16日に、母は神元に出直していきました。
母の死から、一年経って、2018年6月に、譲渡先の勤務を退職して、完全にリタイアしました。
この4年の間は、想定外のことの連続でした。
・母の脳梗塞
・会社経営からリタイア
・黒川家之祈りを始める
・母の死
・仕事から完全にリタイア
今から4年前、2015年の今頃は、経営者として仕事に没頭していたのが、現在は、お祈りと、ブログを書く毎日です。
お陰様で、現在は、何の不自由もない生活を、おくらせていただいております。お神に、感謝です。
実は、母が亡くなる1年ほど前、2016年7月12日は、平成二年に亡くなった父親の祥月命日でした。
私は、願い出て、その日に、年祀之儀を執り行わせていただきました。
その年祀之儀で、亡き父が、ある方を通して、語ってくれ言葉が、ここにあります。