この大天使ルシエルほど、謎に包まれた天使はおられないと思います。
随分以前に、この大天使ルシエルは、七大天使の一人ではないかと、ずっと疑っていました。
そして、現在の大天使ミカエルを筆頭にした七大天使に、大天使ルシエルを入れて、八大天使であったのが、大天使ルシエルが、天上界に戻って来られなくなったため、七大天使になったのではなかろうかと、一人で密かに想像していました。
それは、丁度、高橋信次先生から「七大天使のの言葉」が発表されたころのことでした。
高橋信次先生のご講演では、大天使ルシエルは、この地上界にサタンという名前で生まれ、肉体を持った時、神の道を踏みはずし、悪魔に魂を売ってしまったため、地獄界に堕ちて、自から地獄の帝王になってしまったと、お聞きしていました。
その約10年後、山田征さんのご本「光と影のやさしいお話」の中で、地獄界に堕ちていると思っていた大天使ルシエルが、「るしえる」として、登場してきたことには、本当にびっくりしました。
大天使ルシエルは、天上界に戻ったのかもしれない。そうであったら、良いのに、と思いました。
征さんのお話では、「るしえる」がサタンとして、一身にすべての悪事を担って、地獄界に堕ちたことは、「全き神」との約束であったとあります。
そして、いえすを除いてこの真実を知らされていない秘密が、付け加えられていました。
征さんは、いつも「何が真実であり、そうでないのかは、なかなか、誰にもは、わからないことのように思います。」と、但し書きをされます。
「光と影のやさしいお話」のご本の中では、るしえるは、単に地獄の帝王としての役割だけではなく、地上に於ける光に伴う影(陰陽の陰)を担う者としての役割を持ち、時が至るまで、天上界に戻ってはならないと、「全き神」と約束を交わしたことが、「るしえる」の言葉として語られています。
「るしえるは、本当に、天上界に戻ったのだろうか?
もしそうだとしたら、本当に喜ばしいことだ。きっと、天国の憂いも晴れることだろう。」
と思いました。
山田征さんは、「吹く風もまた私である」という著書のあとがきでは、次のようにお書きになっておられます。
「ご存知のように、この本の内容と言いますかノートのテーマと言いますものは、先ずは”るしえる””サタン”といった名でこれまで代表されてまいりました。”影”あるいは”悪”といったものに対する見方の変化または解放といったことがテーマであったと思います。初めの方ではそのことがひとりの天使の名として扱われ、つまり擬人化されていましたので、よく”るしえるさまをお救いせねば……”といった内容のお手紙をいただくことがありました。その”るしえるの詩(うた)”のところでつまづく方、一挙に解放されてしまう方、さまざまでした。私のこの本の中に”るしえる”の名、サインがあるばかりに、私のことをすっかり悪魔つきにしてしまった古い友人や読者の方も現実にありましたが、むしろ全体としましては、この詩と共に解き放たれた歓び、といったものを伝えて下さった方のほうが多かったのは幸いでした。しかし、この”るしえる”といった一人の天使の名は、つまりはこの宇宙そのものを創りあげていった、いまひとつの神の名、力の代名詞である、といったところまでを、きちんと理解してつかんでくださった方は、意外と少なかったのです。そのあたりは、ちょっと気にかかるところでした。」
るしえるの詩(うた)の中に、次の一節があります。
「神は人々に 大きな愛の贈り物として 自由に遊ぶ心をお与えになった 人々は 神の計らいにより まるで神のごとくに 自由にものごとを考える思考というものを与えられたのである」
このことが、次の結果を引き起こします。
「プラスとマイナス 陰と陽なるふたつの性格を持たざるを得ぬ 一つの要素が生じたのである」
そして、このマイナスである陰の力が、光の世界(陽)と反対の影の世界(陰)を、創り出すことになりました。