先日、ある友人と、食事をしながら、話をする機会がありました。
名古屋駅前の風景
彼は、古くからの友人で、私が離婚した直後は、よく共に食事をして、励ましてくれました。とても大切な友人です。
 
さて、彼と話をしていて、気づいたことなのですが、残念なことに、自分のご子息のことを、あまり褒めないことに気付きました。
 
昨年、お会いした時、彼のご子息は、一流の会社に勤務されているのですが、「結婚できるのだろうか?」と、心配をされていました。
 
こういったネガティブな言葉を、愚痴といいます。
 
「何故、自分のご子息をもっと信じてあげられないのかな?」と、正直、疑問に思いました。
 
私は、「立派な会社に勤めているのだから、全く問題ないよ。」というのですが、彼は、「そうかなあ。」と、悲観的な顔をされていました。
 
食事の時、「息子さんは、結婚されたの?」と、尋ねてみると、「それが、つい最近、結婚したばかりなんだ。」と、彼はおっしゃいました。
 
「なんだ。全然心配することなんか、なかったじゃないの。」と、嬉しく思いました。
 
「息子は、あまり結婚する気じゃなかったようだったけど、急に決まったみたい。」と言って、少しずつ、話しをしてくれました。
 
結婚相手の父親が、趣味の話を延々とすること、遊びに来てとしつこく誘ってくるなど、ちょっと愚痴っぽいです。
 
私が、最近、長野県の別荘地に行って、別荘を持ちたいなと思った話をすると、「別荘は維持が大変だから、止めといた方が良いよ。自分の親戚とかで、別荘の処分に困っている人がいるし。」と、言われてしまいました。
 
「30年ほど前に、親戚の別荘に、GWになると、子供たちと一緒に、泊りに行って、とてもいい思い出になっているので、田舎暮しもいいなあと思っている。」と、話しました。
 
それでも、彼は、自分の近くに、別荘を持て余して困っている人がいる話をして、私に止めた方が良いといわんばかりです。
 
「どうして、そんなに悲観的になるんだろう?」と、不思議に思いました。
 
「将来は、自宅の離れに移って、子供夫婦が母屋に住んでくれて、ご飯になると母屋に行って、子供夫婦や孫たちと、食事と会話をして、夜になると、離れで静かに生活するのが夢だ。」
 
と、私は話すと、彼は、
 
「それが理想だね。君なら、実現しそうだ。でも、僕たち夫婦には、それはたぶんないだろうな。」とおっしゃいます。
 
何かにつけて、家族のことに対して、ネガティブな意見が多いと感じました。
 
私が、父の日に、子供たちからプレゼントを持って、遊びに来てくれたという話をすると、「君の人徳だね。」と、おっしゃいます。
 
どうも、彼の子供さんたちは、遊びには来てくれなかったのかもしれません。
 
私が、「娘が妊娠して、この秋に初孫が生まれることになりそうだ。」と話すと、「それは、いいね。おめでとう。」と羨ましそうに話されます。
 
私の子供たちは、決して出来の良いところばかりではないです。それでも、彼らの良いところを見るようにしています。
 
彼のご子息は、一流の大企業に勤務されていて、将来は幸せな人生が保証されている若者です。
彼が家族のことを、ネガティブに考えてしまうことが、ご自身が幸福を感じられない理由だと思いました。
彼が人格者であり、立派な人物であるがゆえに、彼の愚痴がとても残念で、それが気になって仕方がありませんでした。
その人自身が、幸福であるか、そうでないかは、心の持ちようであると、改めて思いました。