先日、久しぶりに、山田征さんのお話会に参加いたしました。

山田征さんお話会

第1部は、「海と森と里と つながりの中に生きる」という映画の鑑賞会でした。

征さんのお話会の映画

第2部は、征さんが、今年(2021年)1月に、受け取られた「地上の皆さまへ」と題された「大いなる集合意識」からのメッセージを朗読されました。

では、そのメッセージをご紹介いたします。

地上の皆さまへ (大いなる集合意識としての私達より)

 

 私達は新しき年(2021年)の初めに当りましてまずはご挨拶致します。

新年おめでとうございます。たとえこの世界がどのようなことになっていましょうとも、新しき年を寿ぎ日々の一歩一歩を進めてまいりたく思います。

しかしその一歩一歩、一足一足といいますものは、未来に向けてその歩を進めますごとに現在となり、またたくまに過去に変じてしまいます。まことに時といいますものは不思議なものでとどまることを知りません。そのようにして歴史は流れ新しき現代、新しき未来をつくり出しております。

 さてそれではこの先この星地球は一体どのようなことに、どのような姿になっていくのでしょうか。それはいま現在のこの地球の姿をよくみることで推測出来るのではないでしょうか。

 私達はいま、空とぶ鳥達のような俯瞰する目と、地を這う蟻や蛇のようにこまやかなものをみることの出来る双方の目でこの星地球のありようをみる必要があると思っております。

 ところで昨年あなたは、このナチュラルスピリット社から「私は愛する」という新しき書物を出版されましたが、そこに書かれておりますテーマはいくつかあります。

 まずはそのタイトルでしめされておりますように、我らが宇宙の根源意識によって創られましたこの大蒼、大宇宙の中に、幼きこの星地球は存在いたしております。そしてこの星地球の上には数かぎりのない存在物、生命体が置かれております。

 それらすべてのものが生み出され、創り出されましたその想い、その動機といいますものは”愛”である、といいますことがまずひとつのテーマでありましょう。ですから創り出されましたすべてのものには、その動機としての愛というもの、愛の火種が宿されていますよ、と語られております。

 そしていまひとつは”水”、大宇宙の中でも稀有なる存在「水の惑星」と称されております地球特有の水について取り上げられております。

 しかしごらんなさい。あなたのお国をはじめ、いわゆるアジアといわれる地域の国々では年々水による大災害に悩まされてはおりますが、それはこの地球全体からみますと非常に限られた地域での出来ごとであり、異状に乾ききってしまっている地域の方がはるかに多いのが現実である、と言わざるを得ません。

 その証左としましてこの数年、人の手では消火不能となってしまった巨大な火災が各地で次々と発生し、人だけではなく、むしろ他の多くの自然界の生きもの達の犠牲は目を覆うありさまではないでしょうか。

 そしてそれら多くの火災の原因は、誰かが過まって火をつけてしまつた、というものだけではなく、いわゆる「自然発火」という現象によっておきてしまっております。
 ではなぜ、その自然に火がつく、といった現象が起きてしまうのでしょうか。答えは簡単です。先ほども述べましたように、この地上の空気が非常に乾いてしまっていて、ちよっとした木々のこすれあい、摩擦によって火が生れているのです。もちろん人の不注意という原因もなくはありません。

 ではなぜ、この星地球の大気はそれほどに乾いてしまったのでしょうか。

 まるでこの問答は子供相手のやりとりのようになってしまいましたが、仕方がありません。いま少しこのスタイルでやってまいりましょう。

 なぜこの星地球の大気が乾いてしまったのか。もちろんそれは雨や雪の降る量が極端に減ってしまったから、と言わざるを得ませんが、それではなぜ雨や雪の降る量が減ってしまったのでしょうか。

 そうです。それはつまりこの地上の雨や雪を生み出す、降らすことの出来る条件が失われてしまいつつあるから、でありましょう。はっきり申しましてそれは、その雨や雪を生み出すシステムを担った緑の生態系が危機的状況で失われてしまっている、ことによりましょう。

 緑の生態系が失われてしまいますと、単にそれは水を失う、ということだけではありません。生きるものすべてにとって不可欠きわまりない、酸素の供給源を失う、ということでもありますから、ことの重大さは量りしれないものとなってまいります。

 人、とは一体何でありましょうか。”人”とはまさに、この地上の巨大な生態系の一部であり、その頂点に位置するものではありますが、人は、あきらかに他の動植物とははっきり異った存在として創造されておりますことは、よくお解りのことと思います。

 それはよく”神の似姿として”と言われますが、他の生きもの達にはない新たな創造活動をすることの出来る思考というもの、そして自由意志、というものが私達人間には持たされております。そのことにより私達人間といいますか人のことを、あなたのノートでは「第二の創造主、第二のクリエイター」である、と伝えたことがありました。

 もちろん第一の創造主は神、つまり私達の申します宇宙の根源意識そのものであり、その第一の創造主によって生み出され、創り出されましたありとあらゆる形ある動植物や鉱物資源、といったものをうまく利用活用しながら、それまでにない人工的創造物を人は生きる為、と称してさまざまに造りあげ、造り続けてまいりました。

 つまりそれは、他の動植物には真似の出来ない人としての文化を興し、目をみはる文明を築きあげてきたということでありましょう。

 そのことにより私達は、私達人間のことを第二の創造主、第二のクリエイターである、とあなたのノートで語ってまいりました。

 しかし、その神にも似た自由意志と思考力を持った人々は、大切な節度といいますものを失い忘れてしまった、と言わざるを得ません。

 それでも昔、といいますか初期の人々は自然界の捉、摂理といいますものに心を置き、耳をすませて生きてまいりましたが、人が、人類が電気といいますものを手にしたことで、その「たが」がはずれてしまったのではないでしょうか。

 それ以前のあらゆる創造活動はひとつひとつの手間仕事、ひとつひとつのオリジナルとして造りあげられましたから、とても大切に利用し、使われてまいりました。しかし電気というとてつもないものを手にしたことで、そのひとつひとつのオリジナル性はすっかり失われ消えてしまいました。

 人は物を大切にするどころか、いわゆる大量生産、大量消費の大きな波にのまれ、その中であえぐように目先の損得に振りまわされ、生きているのが現状ではないかと私達はみております。結果、この地球は緑の木陰を失い、水ではなく砂の惑星になりつつあると言えましょう。

 さて、話を初めの”愛”に戻してまいりましょう。

 私は愛する誰を?そなたを私はそなたを愛する
私は愛するそなたの為にこの無なる世界の果に美しく希望ある大蒼宇宙を創っていこうと思う

 そのようにして神なる宇宙意識は、私達すべてのつながりあるものを創って下さいました。そのすべてのものを創り出そうとしたその想い、その動機こそがまさしく”愛”であり、「私は私の愛の対象物としてすべてのものを創ったそうであるのだからこの私の愛さないものは何ひとつないのである」と神なる宇宙意識はあなたのノートの中で語っておられます。

 そうなのです、私達ひとりひとりの心の奥、魂の中にはその愛の火種が秘められているのですから、さあ、いまこの時こそ勇気を出して、その火種を吹きおこしていこうではありませんか。その先にこそ希望ある未来は開けてまいります。そして私達は人本来の姿にたち返ってまいりましょう。

 この愛しき母なる地球、水の惑星をまだしばしはその名のごとくありますように、と私達は心から願わずにはいられません。

 長い記述となってしまいました。

                   すべての皆様につながりのあります
                       大いなる集合意識としての私達より
2021年1月15日

このメッセージは、以下のユーチューブ動画としても、公開されています。

宇宙の根源意識からのメッセージ|山田征

このお話会、全体で、一番、心に響いたことです。
第1部の映画の中で、どなたかがおっしゃておられたことなのですが、次のような言葉がありました。
「人間は、無知だから、このようなこと(※ 環境破壊)になってしまった」
例えば、ダムや堰を作ることで、結果的に、環境や漁業に大きなダメージを与えてしまったことは、長良川、諫早湾などで起きました。
手遅れと思わず、今からでも、遅くないので、地球が存続するために、一人一人が自分のできることから、行動に移すことだと思います。
最近は、ささやかではありますが、庭にハーブを植えて緑を増やしたり、そして、玄米を食べるなどして、外食を控えて、小食を心がけるようにしています。