バシャールの語る仏陀についての動画あり、興味深く見させていただきました。

天の川

それは、次のような内容です。
貴方が進みたい”方向”へ行くには、”想い”だけでは行く事は出来ません。バシャールが何度も言うように、私達は、意識+行動の二つの異なるエネルギーの混合から出来ています。よって、物事の始まりは、意識から始まりますが、物事を、更なるレベルへ持って行くには、貴方の起こす”行動”が大切な要素となります。
私達の多くは、”スピリチュアル”を理解しきれていないと、バシャールは話します。目に見えないが、確実に存在しているエネルギーをどう受け止め、どう生活に組み込んでいるかは、人それぞれです。この方法は、”スピリチュアル”だけど、この方法は、”スピリチュアル”では無い、とは言いきれないという事を、バシャールは話しています。
例えば、バシャールは、仏陀の教えを引用しています。それは、仏陀は、悟りを開く前に必ず、”木を切り、水を汲む”事をしていたと、バシャールは話します。詰まり、通常の仕事をこなしている瞬間でも、貴方の”スピリチュアル”は、十分覚醒する事が出来、”スピリチュアル”的に、十分成長する事が出来る、という事を、バシャールは伝えています。
仏陀は、一点の曇り無い心で、木を切り、水を汲んで仕事をしていたのです。無心の心は、瞑想状態を指しています。詰まり、常にニュートラルの心で、沢山の高次エネルギーを受信していたと、バシャールは話しています。そして、私達もまた、仏陀のようになる事が出来るのだと、バシャールは話しているのです。
以上です。
 
この内容だけでは、「私達もまた、仏陀のようになる事が出来る」という部分が、分かりにくいのではないかと感じました。
そこで、私なりに、そのいわんとしているところを、考えてみました。
 
仏陀が、毎日、”木を切り、水を汲む”事をしていたというのは、事実だと思います。
紀元前500年、今から、約2500年前の当時の古代インドでは、修行者にとって、それは、欠かすことができない日課でした。
 
仏陀が悟られたインドという土地は、熱帯とはいいながら、夜になると冷え込みます。
寒さから身を守るために、夜は焚き火が必要で、その薪は、昼のうちに準備しておく必要がありました。
また、夜は猛獣に襲われる危険があり、焚き火の火は、猛獣を追い払う手段でもありました。
 
瞑想や悟りための行をするには、最低限、喉の渇きを潤し、空腹を満たし、栄養を摂る必要があります。
修行者は、鹿の皮で作った袋に、飲み水を入れていました。
そして、山中にある蜂蜜や、野生の植物の果実などを、摂っていました。
 
その頃、修行者は、毎朝、民家の前に立って、乞食をして、食料を確保していました。
一般民衆は、修行者に食べ物を布施することを、当然のこととして、それが習慣となっていました。
 
そのような修行者の生活では、”木を切り、水を汲む”行動は、毎日必要な行動でした。
仏陀は、”木を切り、水を汲む”時であっても、「悟りとは?宇宙の真理とは?」と、いつも心に問い続けていたことでしょう。
彼は、瞑想だけをしていたわけではなく、普通の生活をしながら、悟って行ったということです。
そのことを、バシャールは強調したいのだと思います。
 
そもそも、スピリチュアルな行動と、スピリチュアルではない行動と言うように、人間の生活を分けること自体が、困難です。
それが理解できないと、バシャールがいうように、「”スピリチュアル”を理解しきれていない」ということになります。
 
バシャールのいうニュートラルの心とは、中道の心ということです。
仏陀は、自分が生まれ育ったカピラ城における、情欲と戦争の生活ではなく、さもなくば、バラモン教の修行者が行っていた、自らを苦しめる肉体行の生活でもなく、両極端を離れた中道の生活こそが、悟りに繋がることに気付いたのです。
 
「貴方が進みたい”方向”へ行くには、”想い”だけでは行く事は出来ません。」
人間は肉体を持っている以上、思うことと行動することがいつもセットになっています。
私たちは、常に何かを選択して、行動し続ける存在です。
なにがしかの行動を選択するとき、ワクワクという自身のハイヤーセルフの導きに従うことが、重要になるわけです。
ニュートラルな心でないと、私たちは、自分のワクワクを受信できないのです。
ニュートラルな心を得るために、仏陀は6年間の山中の修行が必要でした。
更に言うと、出家するまでの29年間のカピラ城での王子としての生活があったからこそ、6年間の修行で、中道(ニュートラル)という大悟を得ることができたのだといえます。
私たちも、ニュートラルな(中道の)心を学ぶ事で、仏陀のようになる事が出来るのだと、バシャールは語っているのだと思います。