昨日(9/11)は、「祖父に対する内観」というブログを公開させていただきました。
内観の順序としては、母→父→祖父というのが普通の順番なのですが、母に対する内観は、父や祖父に比べて、手ごたえがありませんでした。
母に対して、内観をお行なっていくうちに、中学生の時に、気丈な母が2回泣いた記憶が蘇ってきました。
1回は、父親に店のことで、ひどく叱られて、口論になってことが原因でした。
母は、父が釣り道具屋を始めるまで、一度も釣りをしたことがありませんでした。
父は、開店当初、釣りを全く知らない母を、店番として残して、問屋回りをするために、外出することが多かったようです。
母は、父がいないため、店にくるお客様に、釣りのイロハを教えてもらいながら、釣道具の勉強をするハメになったのです。
本来であれば、父はもっと母に丁寧な教育すべきであったのでしょう。
母は、父が自分が困っている時に、助けてくれもせず、母の行き届かないところを、ひどく叱ったので、「そんなに叱られるのなら、出て行くので、父,
独りで店を切り盛りしたらiいい。」と思っていました。
こんな釣道具屋をするくらいなら、離婚したいと思う母に対して、私は、「離婚だけはしないで欲しい。」というのがやっとでした。
またある時、開店した釣り道具屋にお客として来店する私と同年代の子供を、父がしょっちゅう釣りに連れていくので、自分の子供より可愛がると言って、泣きました。
私は、「そんなに釣りに行きたいくないので、気にならない。」と言って、母をなだめました。
母親が泣いた、この2つの事件は、鮮明な記憶がありました。
この事件のことで、父を恨み、母の肩を持っていました。
母の悲しい境遇を思い、大きくなったら、母を助けてやろうと、子供心に思っていました。
それにも関わらず、後年、母の気持ちを、ひどく傷つける行動をしました。
42歳の時、勤めていた優良企業を辞めて、自分の会社を設立する決心をしたのです。
母から、次のように言われました。
「なんで、こんなにいい会社を辞める?この1週間、毎晩毎晩、泣いて眠れなかった。何とか、独立するのを、思いとどまってくれないか。」
私は、その当時、流行し始めたインターネットの分野で、何らかの事業を起こしたいと考えたいました。
母の願いを押し切って、会社を辞めて、一人で、ベンチャー企業を立ち上げました。
母の願いを押し切って、会社を辞めて、一人で、ベンチャー企業を立ち上げました。
お陰様で、会社は軌道に乗りました。
しかし、歳月が流れ、会社を設立から、20年めの2015年8月30日に、母親が脳梗塞で倒れました。
しかし、歳月が流れ、会社を設立から、20年めの2015年8月30日に、母親が脳梗塞で倒れました。
その一か月後に、私は会社を事業譲渡して、母親の介護に専念する決心をしました。
その決意を聞いた母親は、涙を流して、「お前に、そんなことをさせてしまい、申し訳ない。」といって、泣きくずれました。
その1年後、大腸がんが見つかり、手術をして人工肛門を付けることになってしまいました。
私が人工肛門の始末を手伝うのを見て、「お前にこんなことなでさせるとは。」といって、再び、大泣きをしました。
2017年5月に、亡くなるまで、母と過ごした2年間、母の介護をするうちに、心が通い合うようになり、母に信頼されるようになりました。
一生懸命に母の介護をしているうちに、お互いに対する恨みつらみが、自然に消えていきました。
その介護生活があったため、母に対する内観は、父の時のように、涙がこぼれるほどの懺悔が、なかなか出てこなかったのかもしれません。