一と月以上前、従兄の家に行った時、伯母(亡き母の姉)がもう長くなさそうだ、という話を聞きました。
かなり認知症が進んでいて、「会っても、多分、誰か分からないよ」と、言われました。
1964年 親戚の集合写真

1964年頃 自宅の前で撮られた親戚の集合写真

今、会わないと、もう伯母に会えないかもしれないと思い、元気なうちに見舞いに行こうと決めました。
そこで、50年以上前に撮影された伯母、母などの親族一同が写っている一枚の集合写真のことを、思い出しました。
折角なので、見舞いの時、この写真を持参して、伯母に見てもらおうと、思いました。
 
写真の人物は、すべてが屈託なく、笑っています。
とても、幸せな時代だったことが偲ばれます。
 
祖父母は、着物姿です。父親が撮影したので、父は写っていません。

二年前(2017年)、母親の葬式が執り行われた時、その時はまだ元気だった伯母に、古い昔の写真を綴じたアルバムを何冊も見せたら、とても喜んでくれました。

この写真を、A4サイズに大きく引き伸ばして、病院に持参することにしました。
 
12月14日、従兄の家に寄って、この親戚一同の写真を見せると、「こんな写真が残っているとは!」と言って、とても感心してくれました。
それから、伯母が入院している病院に向かい、病室に到着しました。
彼女は、自分が思っていた若いころのイメージとは異なり、似ても似つかないほど、小さく、やつれた姿になり、静かに眠っていました。
顔には、怪談のお岩さんのような、赤い大きなあざが、浮き上がっていました。
 
従兄が、伯母に、「ゆうちゃんが来てくれたよ!」と、声を掛けました。
すると、彼女は目を開けて、私を見てくれました。それだけで、嬉しくなりました。
 
私は、次のような言葉を、伯母に掛けました。
「ゆうちゃんだけど、分かる?」
と言うと、伯母は頷いてくれました。
来てよかったなあと思い、母を亡くした時のことを、思い出しました。
 

母が亡くなる数日前のことでした。
母の死が真近いことを感じた私は、母親が冥土の旅路に迷わないように、次のように、問いかけました。
「きっと、お迎えが来るからね。お迎えは、克己さん(父)がいいか、保郎さん(祖父)がいいか、どちらがいい?」
すると、母は、「保郎さんがいい。」と答えました。
私が、「どうして?」と聞くと、母は、次のように答えました。
「克己さんは、怒るで、まあええわ。」
父は、母によく怒っていたので、嫌われていたようです。

結局、母をお迎えに来られたのは、私の師匠の松川晃月師であったことは、後で分かりました。

伯母にも、お迎えが来てくれて、無事、あの世に行けるようにと、思いました。
「もうすぐ、お迎えが来るからね。
 まあちゃん(母の愛称)が、お迎えに来るかもしれないよ。」
そう言って、A4に拡大した、親戚の集合写真を、見せました。
彼女は、その写真をのぞき込んで、微笑みました。
 
見舞いに来ても、自分が誰なのか分かってもらえないのではと、心配していたのですが、昔のことを嬉しそうに思い出して、私にも気づいてくれたので、来た甲斐があったと思いました。
 
彼女に握手を求めたら、布団の下の手は、ガーゼで包まれていました。
その手を軽く握って、「じゃあ、また来るね」と、あまり当てのない約束をして、帰ることにしました。
 
声は聞こえなかったけれど、彼女の口が、「ありがとう」と言ってくれてるのが分かりました。
伯母は、ガーゼでくるまれた手を振ってくれて、さようならの仕草をしてくれました。
伯母の見舞いに来ることができて、つくづく良かったと思いました。
あの様子では、今年いっぱい、持ちこたえるのは、無理かもしれません。
伯母に、会って、亡き母がお迎えに来ると、思わず言ってしまったのは、亡き母からの伝言だったのかもしれません。
伯母は、必ず、極楽に往生すると、確信しました。