高橋信次先生の「新・復活」その1 西伊豆旅行

晩年の信次先生 スピリチュアル
昨年(2019年)7月9日、「新・復活」というブログを、アップさせていただきました。
この中で、「新・復活」という、高橋信次先生の未発表原稿を、発見したことを書かせていただきました。
高橋信次先生の「新・復活」の原稿

高橋信次先生の「新・復活」の原稿

さらに、先日(2020年2月22日)に、「1976年関西3月研修会」というブログを、公開させていただきました。
この研修会の高橋信次先生のご講演内容と、この「新・復活」の原稿とは、それぞれが、互いに、その信憑性を裏付け合っている、重要なエビデンス(証拠)になっています。
 
高橋信次先生の真実の姿を、読者の皆さんに、より深く知っていただきたく思い、私は「新・復活」を、このブログで公開していくことを決めました。
 
この幻の「新・復活」を、ずっと読みたかったとおっしゃった方が、おられたことも、公開する一つの理由です。
 
私は、40年以上前から、先生のすべてのご著書、GLA誌への寄稿について、読ませていただいております。

さらに、信次先生が生きておられた当時、直接、アドバイスをいただいたことがあります。
 
その経験から、僭越ですが、感想、コメントを付けさせていただこうと思います。
 
では、今日(3/2)は、冒頭の部分を、高橋信次先生の「新・復活」その1 西伊豆旅行 として、お届けいたします。※ できるだけ、原文に近い文字遣いで、文章にしております。
 
   「新・復活」その1 西伊豆旅行    (よみがえった 聖書の原点)
 淨き者達へのおくりもの
 冷たい北風もやみ、チューリップの若芽が、やわらかい黒土の中から顔をのぞかせていた。  此の大自然は、人間に生きる喜びを与えてくれる。
 ついこの間までは、土の中で寒さに耐えていた、球根も土壌の中の栄養を吸収し、自然の暖かい陽ざしの惠みにふれると、自力で土壌を割り顔を出し、成長をつづける。  そして、ある時には厳しい暴風雨にさらされ、又ある時にはかんかんでりの太陽に当り、その中でも愚痴何一ついうことなく、暑いといって怒ることもなく、常に足ることを知り、美しく自然を飾ってくれる。
 球根も草木の種も秋を迎え土壌の中で寒い冬に耐えて春を待っている。  このようにしてどんな小さな植物もどんな小さな生物でも、生命をもって此の地上界で輪廻を繰返して休むことがない。  そして大自然は調和されて存在している。
 私は一九六八年に、大きな霊的現象に依り人間として生きる道を知り、爾来八年、著作(心の発見・神理編、科学編、現象編)を始めとして多くの著作を世に問い、同時に全国各地に講演を続けて来た。  そして、ある時には再起不能といわれた重病人に奇跡を起こし、その数は数えきれない。  勿論、無所得、無報酬といっても良い活動であった。
 既に海を渡り、中華民国にアメリカ、ブラジルにと正法の種は世界に広がりつつある。  天より与えられた生活の場を守る仕事は、コンピュータの周辺機器の受注量が安定しているために、生活はうるおっている。
 宗教を種に大殿堂や大神殿をつくるため信者から浄財として不浄な金を集め、教祖やそのとりまきが、優雅な生活にふけるなど、偽善的行為は真実を知っている者として出来るものではない。  余りにも不平等な経済社会の中において、厳しい底辺の生活をしている人々のことを思えば、正法者として当然の道だからである。
 神の心の一表現である太陽は、いかに熱光りのエネルギーを此の万象万物に与えても、まったく無所得であろう。  これこそ、真実の大慈悲であるからだ。  この大慈悲に対して、愛という行為で報仕せなければならない。
 無所得のままに育ててくれた親の愛、人は誰も愛の偉大さを知っている。  この愛に対して、親孝行という報恩の行為がなかったなら、子供としての道を誤ることになろう。  親子の深い縁生の絆を知ったなら、いたずらに親不孝はできないだろう。
 私は、人の道を思索しながら、八年振りに、西伊豆海岸へ静養に訪れた。  土岐の海岸線を、高速道路より見る景色は、新緑の山々と調和して、山水の美をいやが上にももりあげ、私たちの目と心をなごましてくれた。
 同行した長女の佳子は、 「パパ、静かな海ね。  そして素晴らしい景色  あたしの心もこのように広く、豊かで、この大自然を包むような、慈愛に富んでいたなら、もっともっと素晴らしいのにねー」  といって、彼女はためいきをついた。
 もう大学二年生である。  二人で旅行したのは始めてであり、私の体を心配して付いて来たのである。  同時に、父親から何か学び、自己を確立しようとする、気持ちがあった。
「佳子  お前も大分大人になったね。物の見かた、物の考え方、判断の仕方が正しいよ。  此の大自然の節理は整然としている。  この景色は、自然のままだ。
 本来人間の歩むべき道も、諸法無我といって、自然の法則には人間の偽我即ち智や意が入らないものだ。  人間の智識と偽我で仏教は哲学化されて、一般人には程遠いものになり、プロの僧侶ですら理解出来ない程、難しくなってしまった。  インドのゴーダマ・ブッタの時代に今のような難しい経典で無学文盲の衆生を救済出来ただろうか。  やはり、此のように自然を通して理解しやすい方便を使って、生きる道を説いたのだよ。
 法というものに時代の新しいとか旧いとかいうことはなく、ガンガー河の流れは今も昔もヒマラヤに端を発して、ベンガル湾にそそいでいるのさ。  ヨルダン川の流れもイエスの時代と流れは変わっていないはずだ。
 人間は、それぞれの生活体験の中から、自分の心を豊かにして、自己を確立して行く者と、逆に堕落への道を歩む者、又まったく無関心のまま無意味に人生を過す人々とがあるんだよ。  人生の生れて来た目的や使命、真実の価値感を知らないまま、物質経済の限りない欲望の奴隷になったり、情欲のとりことなり、一生、足ることを忘れ去って苦しみ不足のまま、大きな執着という、苦悩のお荷物を持って、生きながら地獄の生活をつづけて、此の世を去る者達もいるのだ。」
 彼女はうなづいて、聞いていた。 (その2へ続く)

以上、です。

これは、1976年3月上旬に、高橋佳子先生と親子二人で出掛けられた、西伊豆海岸での反省旅行について、描いておられます。信次先生は、半年に1回は、1週間の反省旅行をされていたようです。ただ、このころ、信次先生は、すっかりお痩せになられて、体力の低下も懸念されていました。

信次先生は、こよなく自然を愛しておられたことが、よくわかります。 ご出身の長野の佐久地方の光景が、目に浮かぶようです。 また、ご息女の佳子さんのことを、どれほど、可愛がっておられたのか、伝わってきます。
正法の在り方を、人間のあるべき姿を、いずれ後継者となる佳子さんに、しっかりと伝えようとされていたのでしょう。 正しい法を悟ることなく、この世を去っていく人々が、いかに多いことか。そして、そのような人々に心を痛め、何とか、法灯を掲げてあげたいという思いが、ひしひしと伝わってきます。
私は、この原稿に出会い、信次先生と同時代の日本人として生まれて、母国語で、これを読むことが出来ることを、本当に嬉しく思います。 道を求める者の宝物といっても、過言ではないでしょう。
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