今、裁きの日に備えて、手放す時

モッコウバラ(木香茨) スピリチュアル
今朝(4/12)、夢から目覚めて、思い出そうとしていたら、「裁きの日」という言葉が降りてきました。
これは、今日のブログに書かせていただくことだなと、直感しました。
いつものジョギングコース

今日の朝 いつものジョギングコース

「預言カフェ 高田馬場店」の中にある、主からのメッセージを思い出しました。
…今、何かこう、ある意味、準備の期間、そして、ある意味、何か手放していく、そのような時ですよと、主はいわれます。
 
それは、「裁きの日」が来るまでは、手放し、備えなさいと、主がおっしゃっているのだと思いました。
 
私が、「裁きの日」という言葉で受け取ったのは、昨年(2019年)、次のように、ゼウ氏がおっしゃった「審判の日」のことです。
ゼウ氏:ああっ? アホがっ 審判の日はもうすぐやで それまでにやることがあるんちゃうか言うてんねん 人間の未来が決まるまで 後1年ちょいやで お前はどうしたいんや 審判が下るまでが大事やで
 
今、自分が、一番、辛いと感じていることは、先日、娘に会いに行こうとしたら、「コロナウイルスのことがあるので、名古屋からは、来ないで。」と断られたことです。
知人から、「今は、どこもそうらしいよ。」といわれたので、そういうものかと、一応、納得して、娘や自分の家族と会うことは、一旦、控えることにしました。
 
しかし、私の感情は、なかなか納得してくれないようです。
「コロナが去るまでは、家族と会うことを、しばらく、諦めよう。」
 
理屈としては、家族との共依存の関係を、しばらく手放すことなのですが、なかなかうまくいきません。
 
三次元にどっぷりいると、なかなか手放せないと気付きました。
そこで、QFMの五次元ピラミッドに上昇して、その中で、アルファ瞑想、無限呼吸をして、それを手放すことにしました。
「私は、娘、息子を始め、私の家族と会うことを、一旦手放します。  家族に、光と愛を送ります。」

 

と、宣言して、光と愛をイメージしました。
すると、かなり、楽になりました。辛さが緩和されました。
 
それ以外でも、どんな小さなこだわりも、気付いたことは、手放していこうと思います。
 
毎朝、ジョギングをしています。
モッコウバラ(木香茨)

モッコウバラ(木香茨)

そこで、必ず、タイムを計っているのですが、少しでもタイムを伸ばしたいという想いがあり、ジョギングに集中して、道端に花が咲いていても、なかなか見る余裕がありませんでした。
 
以前は、マラソン大会などに参加するため、ジョギングにストイックに取り組んでいたためなので、それも手放そうと思いました。
 
そして、今日は、タイムに捉われないで、ゆっくり走りました。
そうしたら、いつものゴールに着いても、まだ走れる余裕があったので、1㎞ほど余分に走ってしまいました。
そういえば、以前、4月になったら、走る距離を伸ばそうと思っていたことに、気付きました。
これは、計画通りに、ことが起きたのかもしれません。
 
まだまだ、手放すことはあります。
 
投資をすることについて」のブログで、投資信託を始めたことを、書かせていただきました。
 
お金を増やそうと思い、投資信託をしたら、神様か誰かに、罰せられるのでは?という不安がありました。
神様は、人を罰することはありません。自分の中の恐れを見ているのです。
「投資信託の基準価格の変動を気にして、スマホでチェックするのもよくない。」
 
と思っていたのですが、そのような制限も、外すことにしました。
 
今日、基準価格を確認したら、どういう訳か、全体の投資額に対して、評価損益は、5%くらいのプラスになっていました。
神様が、応援してくれていると、感じました。
仮に、「裁きの日」が来たとしても、何も恐れることはないです。 コロナウイルスによる様々な悪影響が納まるまで、出来るだけ、心安らかに、穏やかに過ごそうと思いました。
もし、何か辛いことが出てきたら、ブロッサムさんの「私は光、私は愛、私は全て」というマントラを唱えるのも良いし、QFMの五次元ピラミッドに入って、心を鎮めればよいのです。
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