一昨日、6月21日は、2020年の夏至でした。
今年、2020年は、特別な年なので、この夏至にちなんで、様々なスピリチュアルなイベントが行われたようです。
結論からお話しすると、孫を抱っこできたことが、何にもまして嬉しかったことでした。
孫を抱いて
これは、スピリチュアルな瞑想から得られる静かな幸福感とは違い、ずっと強烈なものです。
人間は、こうした瞬間を感じるために、この三次元で生活をしているのだと、改めて思いました。
 
今年の2月3月頃、夏至に行われるあるイベントに参加しようと考えていました。
しかし、あることが原因で、参加する気持ちが無くなりました。
 

そして、2人の友人から、それぞれ別個に、夏至の日の辺りに、遊びに来ないかという提案がありました。

しかし、「6月21日は、父の日なので、子供たちが来てくれるかもしれない」と理由で、お断りをしました。
実は、その時点では、子供が来てくれるかは、はっきりしていなかったのです。
ただ、2019年の父の日には、子供たちが来てくれたので、来てくれるのではないかと思っていました。
 
「コロナがあったけれど、今年の父の日は、どうする?」という趣旨のメールを、子供たちに出したのですが、なかなか返事が返ってきませんでした。
 
土曜日に、「残念ながら、今年は、子供たちが来ないのかなぁ」と思いながら、床に就きました。
 
今、私自身の心の中にある、最も強いネガティブな感情は、「子供たちが自分の家に来てくれなくなるのではないか?」という怖れでした。
 
この2020年の夏至が近づくにつれて、「アセンションのために、全てを手放そう。」というようなメッセージを、しばしば受け取ってきたように思います。
 
例えば、バシャールの「バシャール 針の目(The Eye of The Needle)覚醒のための5つのステップ」の中の3つ目のステップは、「過去に影響されない自分になる。」でした。
 
そして、以前公開した「人間ドラマ」というブログで、「ハッピーで穏やかな世界」に入るためには、「人間ドラマ」を手放す必要があると思っていました。
 
そのため、「ハッピーで穏やかな世界」に導かれるためには、「家族との絆も手放す覚悟をしなければならない」とすら、思っていたのでした。
 
6月21日(父の日)の前日、眠りに落ちていた深夜に、娘から、メールが届きました。
 
「こんばんは、遅くなってごめんなさい
 明日の日中に、家に行こうかと思ってます。
 お父さんの都合はどうですか??」
 
このメールを見た時、「父の日に子供たちが来るのか、来ないのかどうなるだろう」というイライラは、吹き飛んでしまいました。
その時感じたことは、当たり前のことですが、やはり「家族が大切」ということでした。
抱かれた孫
娘夫婦が、孫を連れて、父の日のプレゼントを持って、訪ねてきてくれたことが、何よりも最高の幸せだと感じました。
どこにでもありそうなありふれた幸せですが、必ずしも、誰もが味わえるわけではありません。
先日の「自然に親しむようになって」というブログの中で、次のように書きました。
 
 自分がかつて、光そのものであったことを、思い出して、ただただ感じてみる瞑想をしています。
 その神のエネルギーである自分を受け入れて、自分を好きになることが目標です。
 
自分を好きになる」という近道は、自分の心が喜ぶことを、自分に許す、つまり、してあげることだと思いました。
それは、簡単なことのように思えますが、いろいろ条件を付けて、許さないことがあります。
例えば、次のような考えです。
 
アセンションを果たすためには、個人的な幸せは、犠牲になっても仕方がない。
 
これからは、自分自身のために、もっと心遣いをしようと思います。
それが、自分を好きになる在り方だと思います。
2020年の夏至に、家を空けないようにしたのは、自分自身の内なる声に従った結果でした。
「多分、娘夫婦は、父の日に来てくれないよ。」とささやく、自分の怖れの声に反して、あくまで、予定を空けて待っていたことで、普段感じることがない、強烈な幸せを味わうことができました。